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JBO004862

【Manuel Naranjo】 Vtg Lined Heavy Triangle Wire Cuff c.1950~

【Manuel Naranjo】 Vtg Lined Heavy Triangle Wire Cuff c.1950~
74,800HOLD 円(税込)
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【Santa Clara Pueblo】サンタクララプエブロの偉大な作家【Manuel Naranjo】マヌエル・ナランホ(1909?-2004)の作品で、重厚なトライアングルワイヤー(竜骨型)をベースに、ライン模様のみで構成されたシンプルで洗練された完成度を持ったアンティーク/ビンテージバングルです。

1950年代~1970年代頃に作られた作品と思われ、Manuel Naranjoの大変長いキャリアの中では中期~後期のピース。内側には『M. NARANJO』のホールマーク(作者のサイン)が刻まれており、このようなホールマークは1940年代後半以降に使用を始めたとされています。また、シルバースミスとしての活動期間の長さに対して、本作のようにホールマークが入る作品はほとんど見つかっておらず、特定の期間にのみ使用していたのか、所属した店と関係のない特別な作品だけに刻印したのか不明ですが、とても珍しく貴重なものとなっています。

おそらく、インゴットシルバー(銀塊)からローラーで伸ばすことで成形された重厚なトライアングルワイヤーをベースに構成した、とてもシンプルな作品。そこに、ファイルワークという鑢で削る原始的な技術とスタンプワークを巧みに組み合わせることで、上下左右対称にライン模様が刻まれており、シンプルながら力強く、エッジ―で洗練された印象が与えられています。

また、本作のようにトライアングルワイヤーをベースに、ライン模様を刻み込むことで構築的でモダンな印象を生む造形スタイルは、1960年代後半以降にはナバホの作家によって多く制作されました。それはおそらく、ナバホの巨匠【Fred Thompson】フレッド・トンプソン(1921or1922-2002)等の作品による影響と考えられますが、本作の作者であるManuel Naranjoのキャリアや実績を加味すると、同作者の影響により、伝統的なスタイルとして広く定着した可能性もあります。


【Manuel Naranjo】マヌエル・ナランホは、1909年にサンタクララプエブロに生まれ、第二次世界大戦後にインディアンシルバースミスとして「有名作家」となった数少ない一人です。日本での知名度は高くありませんが、アメリカ国内におけるインディアンジュエリー史上では、【Ambrose Roanhorse】アンブローズ・ローアンホース(1904-1982)や【Mark Chee】マーク・チー(1914-1981)、【David Taliman】デビッド・タリマン(1901or1902-1967)と並んで評されています。
また、姉か妹の【Anacita Naranjo】アナシタ・ナランホは、David Talimanと結婚しており、David Talimanとは義理の兄弟となっています。

サンタフェインディアンスクールを卒業後【Maisel's Indian Trading Post】マイセルズインディアントレーディングポストでジュエラーとしてのキャリアをスタートしています。
1931年には当時、マイセルズの工房長である【Clarence Johnson】クラレンス・ジョンソンの独立に伴ってナバホのシルバースミスである【John Yazzie】ジョン・ヤジーと共にコロラド州デンバーに移り住み、ジュエリー制作を継続しました。また、Clarence Johnsonの経営したジョンソンカンパニーではジュエリーのリペアも請け負っており、その取引先には後にとても長く在籍することになる【Kohlberg's Antiques】コールバーグスアンティークスも含まれていました。

1933年、当時Kohlberg's AntiquesのオーナーであったErich Kohlbergにリペアの完了品を納品する際、ヘッドハンティングされる形で長い歴史を持つアンティークショップであるKohlberg's Antiquesへ移籍します。それ以後、Kohlberg's Antiquesで働きながらオリジナルのジュエリーも並行して制作していたようです。
第二次世界大戦中に関しては、デンバー西部の軍需工場とロッキー山脈の兵器庫で働いていたよう。戦後は、元々量産型のツーリストジュエリーを作っていた【Harry Heye Tammen】H.H.タンメン社が経営難に陥り、経営方針を転換してハンドメイドのインディアンジュエリー制作販売という原点に立ち戻る為、Manuel Naranjoが招聘されたようです。

1950年代初頭にはErich Kohlbergの誘いにより、Kohlberg's Antiquesへ戻り、店内の見える場所でジュエリー制作をしていました。そして、その作業風景は、Manuel Naranjoを町の有名人にしました。デンバー市長とコロラド州知事をはじめ、ボブ・ホープ(俳優・コメディアン)やエド・スリバン(司会者)、ジョン・ウェイン(俳優)等、当時の有名人も多く作業中の彼を見学しに来ました。その中には、『U.S.NAVAJO』のホールマークが表している【Indian Arts & Crafts Board】(IACB)インディアンアーツアンドクラフツボードの代表を務めた【Vincent Price】ビンセント・プライスも含まれており、来店した時にバングルを購入しています。そのブレスレットは現在、ICBAコレクションとしてWheelwright Museumで収蔵されています。

その後、オーナーの妻が亡くなる1993年までKohlberg's Antiquesで働きましたが退店、その時には自身も84歳となっており、同時にシルバースミスとしても引退したようです。そして2004年に亡くなられています。
柔和な表情で写る古い写真がいくつも残されており、その人柄が伝わってきます。また、歌とドラム演奏にも長けていたようで、1950年代には夏季の週末になるとデンバー西部のルックアウトマウンテンで観光客向けにテワの歌を披露していました。晩年には、サンタクララプエブロにも頻繁に帰郷し、村の言葉を懐かしみ村のダンスに参加することもあったようです。

インディアンシルバースミスの中でも突出して長いキャリアを誇り、戦時中等の休止期間を除いても半世紀以上に渡ってジュエリー制作を続けた偉人です。ミュージアムに収蔵されている作品も多く、それらの特徴はナバホジュエリーに比べるとスタンプワークが少なく、ツイステッドワイヤー等の繊細なワイヤーワークを駆使した作品が多く感じられますが、全体に力強くスタンプワークが施された作品も残されており、その技術の幅広さを感じることが出来ます。また、もちろんターコイズを用いた作品も残されていますが、比較的ペトリファイドウッド(珪化木)やアゲート(瑪瑙)などの石がマウントされたピースが多く見られます。それは、コロラド州という居住地の影響と思われますが、明確にはなっていません。
ミッドセンチュリーのみでなく、1970年代以降にも活躍したナバホ・プエブロを代表するシルバースミスの一人であり、マスターオブシルバー/名工であったことは疑う余地がありません。


本作もとてもシンプルで根源的な造形美を持ち、Manuel Naranjoが多く残した作品群とはあまり共通しない造形スタイルでありながらも同作者の一貫した美意識を感じることが出来る作品です。

ビンテージインディアンジュエリーの力強い武骨さだけでなく、素朴でクリーンな表情やシックで洗練された印象も持ったバングルであり、古い作品とコンテンポラリー作品のどちらにも馴染みの良いピースとなっています。また、とてもシンプルでエッジーな印象は他のバングルとの2連、3連等、重ね付けにも向いたピースですが、ワイヤーの太さと重厚感がある為、単体でも十分に存在感を持っています。

【Manuel Naranjo】マヌエル・ナランホという後世に強い影響を与えた作家によるセンスと完成度を持つ作品であり、史料価値も高くトレジャーハントプライスなピースとなっています。

◆着用サンプル画像(10枚)はこちら◆


コンディションも良好です。全体に制作上の細かなキズ等が見られますが、使用感を感じないとても良い状態を保っています。
【Santa Clara Pueblo】サンタクララプエブロの偉大な作家【Manuel Naranjo】マヌエル・ナランホ(1909?-2004)の作品で、重厚なトライアングルワイヤー(竜骨型)をベースに、ライン模様のみで構成されたシンプルで洗練された完成度を持ったアンティーク/ビンテージバングルです。

1950年代~1970年代頃に作られた作品と思われ、Manuel Naranjoの大変長いキャリアの中では中期~後期のピース。内側には『M. NARANJO』のホールマーク(作者のサイン)が刻まれており、このようなホールマークは1940年代後半以降に使用を始めたとされています。また、シルバースミスとしての活動期間の長さに対して、本作のようにホールマークが入る作品はほとんど見つかっておらず、特定の期間にのみ使用していたのか、所属した店と関係のない特別な作品だけに刻印したのか不明ですが、とても珍しく貴重なものとなっています。

おそらく、インゴットシルバー(銀塊)からローラーで伸ばすことで成形された重厚なトライアングルワイヤーをベースに構成した、とてもシンプルな作品。そこに、ファイルワークという鑢で削る原始的な技術とスタンプワークを巧みに組み合わせることで、上下左右対称にライン模様が刻まれており、シンプルながら力強く、エッジ―で洗練された印象が与えられています。

また、本作のようにトライアングルワイヤーをベースに、ライン模様を刻み込むことで構築的でモダンな印象を生む造形スタイルは、1960年代後半以降にはナバホの作家によって多く制作されました。それはおそらく、ナバホの巨匠【Fred Thompson】フレッド・トンプソン(1921or1922-2002)等の作品による影響と考えられますが、本作の作者であるManuel Naranjoのキャリアや実績を加味すると、同作者の影響により、伝統的なスタイルとして広く定着した可能性もあります。


【Manuel Naranjo】マヌエル・ナランホは、1909年にサンタクララプエブロに生まれ、第二次世界大戦後にインディアンシルバースミスとして「有名作家」となった数少ない一人です。日本での知名度は高くありませんが、アメリカ国内におけるインディアンジュエリー史上では、【Ambrose Roanhorse】アンブローズ・ローアンホース(1904-1982)や【Mark Chee】マーク・チー(1914-1981)、【David Taliman】デビッド・タリマン(1901or1902-1967)と並んで評されています。
また、姉か妹の【Anacita Naranjo】アナシタ・ナランホは、David Talimanと結婚しており、David Talimanとは義理の兄弟となっています。

サンタフェインディアンスクールを卒業後【Maisel's Indian Trading Post】マイセルズインディアントレーディングポストでジュエラーとしてのキャリアをスタートしています。
1931年には当時、マイセルズの工房長である【Clarence Johnson】クラレンス・ジョンソンの独立に伴ってナバホのシルバースミスである【John Yazzie】ジョン・ヤジーと共にコロラド州デンバーに移り住み、ジュエリー制作を継続しました。また、Clarence Johnsonの経営したジョンソンカンパニーではジュエリーのリペアも請け負っており、その取引先には後にとても長く在籍することになる【Kohlberg's Antiques】コールバーグスアンティークスも含まれていました。

1933年、当時Kohlberg's AntiquesのオーナーであったErich Kohlbergにリペアの完了品を納品する際、ヘッドハンティングされる形で長い歴史を持つアンティークショップであるKohlberg's Antiquesへ移籍します。それ以後、Kohlberg's Antiquesで働きながらオリジナルのジュエリーも並行して制作していたようです。
第二次世界大戦中に関しては、デンバー西部の軍需工場とロッキー山脈の兵器庫で働いていたよう。戦後は、元々量産型のツーリストジュエリーを作っていた【Harry Heye Tammen】H.H.タンメン社が経営難に陥り、経営方針を転換してハンドメイドのインディアンジュエリー制作販売という原点に立ち戻る為、Manuel Naranjoが招聘されたようです。

1950年代初頭にはErich Kohlbergの誘いにより、Kohlberg's Antiquesへ戻り、店内の見える場所でジュエリー制作をしていました。そして、その作業風景は、Manuel Naranjoを町の有名人にしました。デンバー市長とコロラド州知事をはじめ、ボブ・ホープ(俳優・コメディアン)やエド・スリバン(司会者)、ジョン・ウェイン(俳優)等、当時の有名人も多く作業中の彼を見学しに来ました。その中には、『U.S.NAVAJO』のホールマークが表している【Indian Arts & Crafts Board】(IACB)インディアンアーツアンドクラフツボードの代表を務めた【Vincent Price】ビンセント・プライスも含まれており、来店した時にバングルを購入しています。そのブレスレットは現在、ICBAコレクションとしてWheelwright Museumで収蔵されています。

その後、オーナーの妻が亡くなる1993年までKohlberg's Antiquesで働きましたが退店、その時には自身も84歳となっており、同時にシルバースミスとしても引退したようです。そして2004年に亡くなられています。
柔和な表情で写る古い写真がいくつも残されており、その人柄が伝わってきます。また、歌とドラム演奏にも長けていたようで、1950年代には夏季の週末になるとデンバー西部のルックアウトマウンテンで観光客向けにテワの歌を披露していました。晩年には、サンタクララプエブロにも頻繁に帰郷し、村の言葉を懐かしみ村のダンスに参加することもあったようです。

インディアンシルバースミスの中でも突出して長いキャリアを誇り、戦時中等の休止期間を除いても半世紀以上に渡ってジュエリー制作を続けた偉人です。ミュージアムに収蔵されている作品も多く、それらの特徴はナバホジュエリーに比べるとスタンプワークが少なく、ツイステッドワイヤー等の繊細なワイヤーワークを駆使した作品が多く感じられますが、全体に力強くスタンプワークが施された作品も残されており、その技術の幅広さを感じることが出来ます。また、もちろんターコイズを用いた作品も残されていますが、比較的ペトリファイドウッド(珪化木)やアゲート(瑪瑙)などの石がマウントされたピースが多く見られます。それは、コロラド州という居住地の影響と思われますが、明確にはなっていません。
ミッドセンチュリーのみでなく、1970年代以降にも活躍したナバホ・プエブロを代表するシルバースミスの一人であり、マスターオブシルバー/名工であったことは疑う余地がありません。


本作もとてもシンプルで根源的な造形美を持ち、Manuel Naranjoが多く残した作品群とはあまり共通しない造形スタイルでありながらも同作者の一貫した美意識を感じることが出来る作品です。

ビンテージインディアンジュエリーの力強い武骨さだけでなく、素朴でクリーンな表情やシックで洗練された印象も持ったバングルであり、古い作品とコンテンポラリー作品のどちらにも馴染みの良いピースとなっています。また、とてもシンプルでエッジーな印象は他のバングルとの2連、3連等、重ね付けにも向いたピースですが、ワイヤーの太さと重厚感がある為、単体でも十分に存在感を持っています。

【Manuel Naranjo】マヌエル・ナランホという後世に強い影響を与えた作家によるセンスと完成度を持つ作品であり、史料価値も高くトレジャーハントプライスなピースとなっています。

◆着用サンプル画像(10枚)はこちら◆


コンディションも良好です。全体に制作上の細かなキズ等が見られますが、使用感を感じないとても良い状態を保っています。
Size

メンズサイズ M - L 程度。
レディースサイズ L - XXL 程度

内径最大幅 約57.8㎜    正面幅(高さ) 約8.2㎜
内周 約134㎜    開口部 約27.5㎜
Inside Measurement 5 5/16inch   opening 1 1/8 inch 

※バングルはサイズ調整可能です。SMサイズ以上、XLサイズ以下の男性、Lサイズ以上の女性であればほとんどの方にフィットすると思います。
ただし、サイズ調整の際は無理な力を加えますと破損の原因となることがありますのでご注意ください。

Material

Ingot Silver
        約37.8g