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JBO011740

Vintage Twisted Wire Cuff w/High Grade Pilot Mt. TQ c.1940~

Vintage Twisted Wire Cuff w/High Grade Pilot Mt. TQ c.1940~
66,000 円(税込)
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Vintage Twisted Wire Cuff w/High Grade Pilot Mt. TQ  c.1940~
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【NAVAJO】ナバホのアンティークジュエリーで、高度なハンマーワークによりフラットに成形され異なったパターンを持つ3本のツイステッドワイヤーで構成されたピース。そこに、非常に美しいスクエアカットの【Pilot Mountain】パイロットマウンテンターコイズがセットされたアンティーク/ビンテージバングルです。

また、大変手の込んだデザインや内側の『HAND MADE』と刻印されたディテールによって、ビンテージインディアンジュエリーの歴史を紐解く上でとても重要であり、大きな影響力を持ったショップ【Seligman's】セリグマンズで制作された作品である確率がとても高いジュエリーです。
1930年代~1940年代にSeligman'sの経営者である【Julius Seligman】ユリウス・セリグマンによりデザインされ、共同経営者の【Siegeried Seligman】ジークフリード・セリグマンにより描かれたデザイン画が残っており、その中にはこちらの作品と極似したデザインも確認されています。

1930年代末頃~1950年代頃に作られたと思われる作品で、2本のシルバーワイヤーを撚り合わせてできたツイステッドワイヤーをハンマーでに叩くことでフラットに成形したものを3連に並べてバンド/地金を構成しています。また、上下のツイステッドワイヤーと中央に施されたワイヤーではその撚り合わせ方や太さの違いを作ることでまったく異なった表情のワイヤーになっています。こちらのようなハンマーワークと組み合わされたツイステッドワイヤーの造形は、それだけでも高い熟練度が必要で、ハンドメイドのインディアンジュエリー独特の味わいと技術力を感じることのできる造形スタイルです。均一なクオリティーに仕上げるのが難しいため、ほとんど見られなくなった技術の一つであり、現代では高い技術を持ったベテラン作家の【Cippy CrazyHorse】シピー・クレイジーホースや【Ernie Lister】 アーニー・リスター等、限られた作家しか用いることのない技術になってしまいました。
そして、センターには美しいスクエアカットのターコイズが施され、ベゼルにはさりげなくも厚みを持たせることで構築的な印象を与える装飾が施されています。さらに、ターミナルには小さなシルバータブが配されることで、ツイステッドワイヤーがまとめられており、その内側には『HAND MADE』と『STERLING』の刻印が見られます。

高い技術によって仕上げられ、素晴らしい完成度のシルバーワークとハイグレードなターコイズの双方が際立ったアンティークバングルです。

セットされたターコイズは、【Pilot Mountain】パイロットマウンテンターコイズと思われ、とても深いグリーンと澄んだブルーのグラデーションに複雑なブラウン/ゴールドのウェブが入ります。それは大変複雑な景色を形成しており、航空写真を見るような奥行と色の濃さ・透明感もある素晴らしい石です。現在でもハイグロスを保ち、高い硬度を感じさせる照りや煌きを持ったハイグレードにグレーディングできるターコイズです。
また、カット時にロスが多く発生してしまうスクエアカットは希少で、特に古い作品のバングルでは珍しいディテールの一つです。


【Pilot Mountain】パイロットマウンテンターコイズは、ネバダ州に位置しビズビーなどと同じように古くからある銅山でしたが、少量のターコイズを定期的に産出していたようです。70年代頃からはターコイズも本格的に採掘され、とても個性的で複雑な景色を作り出すマトリックスと、バラエティー豊かな色味が特徴です。


【Seligman's】セリグマンズは、1882年にニューメキシコ州のアルバカーキの少し北に位置するベルナリージョという町で【Nathan Bibo】ネイサン・ビボ と【Simon Bibo】サイモン・ビボによって創業されたトレーディングポストが前身となっています。
二人の経営者の甥である【Siegeried Seligman】ジークフリード・セリグマンと【Julius Seligman】ユリウス・セリグマンも1902年から共に働き始め、その二人が1904年頃には新しい経営者として会社を買い取っています。そして、その頃から業績も上向いていったようです。
ジークフリートとユリウスは、会社名を【Bernalillo Mercantile Company】ベルナリージョ・マーカンタイル・カンパニーに改め、支店をオープンさせたり商品の拡充を図り、ベルナリージョにある本店では、12,000平方フィートの広さに金物・食料・雑貨・衣類・材木から棺まで、あらゆる商品を取り揃えていました。さらに、多くのプエブロインディアンと取引することで彼らの生活を支え、ホピのマンタ(服の代わりになるようなブランケット/ショール)等を大量に流通させたとされています。また、それらの取引は、その他のインディアン工芸品へも幅広く展開し、古いサントドミンゴ/キワ族のポッテリーをリバイバル制作して販売したことでも有名です。

そして、1930年代入るとジークフリートとユリウスはジュエリーの企画・販売を開始します。オーナーである二人がデザインに携わり、1939年まではたった2人のシルバースミスが制作を担当していましたが、工房の規模は拡大され、1940年には12人ものシルバースミスを雇い入れています。彼らの内11人はナバホの職人で構成され、ギャラップの周辺やシップロック出身者だったとされています。彼らは、5週間働いたあと2週間は休みが与えられ帰省することができたようで、当時多く存在したインディアンクラフト工房の中でも大変手厚い待遇だったようです。
また、セリグマンズの工房ではバッファー(仕上げ工程で磨きをかける機械工具)以外の機械は一切使用されず、職人はそれぞれの作業用ベンチが与えられて、全行程を一人の職人が担当していました。

1946年には店舗と住居を共にアルバカーキに移転。当時、シルバージュエリー制作の核となったのはナバホ出身の2人のシルバースミスで、【Merejido Chavez】メレヒルド・チャベスと【John Dennison】ジョン・デニソンという人物でした。メレヒルド・チャベスは以前に【Bell Trading Post】ベルトレーディングポストで働いていた経歴を持ち、セリグマンのジュエリーの中でも秀作であるツイステッドワイヤーを用いた作品は、ジークフリートがデザインし、メレヒルド・チャベスが制作したとされており、こちらの作者も同人物による作品と想像されます。また、それらのデザインはセリグマンの1949年頃のカタログにイラストが掲載されており、その表紙にはもう一人のシルバースミスであるジョン・デニソンの写真が掲載されています。

そして、1959年にはインディアンジュエリーの中でもツーリストアイテムの歴史上、大変重要な人物である【M.J."Jerry"Chakerian】M.J.ジェリー・チャケリアンによって買収されました。チャケリアンはニューヨーク出身の敏腕ビジネスパーソンであり、ツーリストジュエリーの生産・流通に大きな影響を与えた人物です。
【Bell Trading Post】ベルトレーディングポストは1935年の創業からしばらくは、【Ganscraft】=【Julius Gans Southwestern Arts and Crafts】ガンズクラフト社と同じ姿勢を持ち、小規模で完全なハンドメイドによってジュエリーの制作を行っていましたが、代表である【J.T.Michelson】J.T.ミケルソンは機械化することを望み、1940年にニューヨークポストに広告を掲載、そこで求めに応じた人物がチャケリアンであり、すでに機械化に成功していた【Maisel's】マイセルズの生産工程をベースに、ベル社の機械化とその飛躍に貢献しました。
しかしながら、チャケリアンは1956年までベルで働いたあと、その後はデンバーの【Harry Heye Tammen】H.H.タンメン社に短期間所属し、そこでは機械生産を止めさせて、伝統的なナバホジュエリー制作への回帰という、ベル社での施策とはまったく逆のことをしており、「伝統的な方法で作られたジュエリーはマシーンメイドのジュエリーとの競争に苦しむべきではない」との自論を持っていたそうです。
当時のタンメン社は業績が酷く悪化しており、大規模な変革が求められていたようですが、大きなコストを必要とする大規模な機械化等を行わず、「本物のハンドメイドのインディアンジュエリーは工業製品の犠牲になるべきではない。それは今後のインディアンジュエリーの健全性の為に大変重要である」と訴え、新たにナバホのシルバースミスを雇い入れました。さらに、一部の機械工程にもナバホの職人を雇うことで、「インディアンメイド」の標記を守らせたようです。

チャケリアンが買収後のセリグマンズでは、すでに一部で機械工程も導入され始めていたようですが、やはり古い製法を尊重し、【Joe H. Quintana】ジョー・キンタナ等、非常に高い技術を持った職人と共にデザイン/造形はモダンなものに進化させられ、伝統技術と共に後進に受け継がれていきました。
インディアンクラフトが産業化されていく工程をなぞる様にその歴史を刻んだショップであり、経営者が変わりながらその業態も変化したようですが、なぜかいつの時代でも、他の工房に比べ異彩を放つ独自性と技術を必要とするジュエリーの造形/デザインを生み出し続けた工房です。
おそらくチャケリアンが経営する時代のものは『HAND MADE』の刻印の上にアーチ状の『INDIAN』が刻印されています。


こちらの作品もセリグマンズを代表する高度なシルバーワークによるツイステッドワイヤーをベースにしており、スクエアカットのターコイズと共に構築的で男性的な表情を持ち、ラフなスタイルだけでなく多くのシーンにフィットする雰囲気を持っています。
ターコイズの表情や長い経年により、深淵な歴史を感じさせるハイエンドで史料価値も高いピースです。

また、こちらのようなツイステッドワイヤーで構成された作品は、造形の彫が深いため、日常的な着用により凹凸のコントラストが強くなり、その奥行きとシルバーの上質感を高めていきます。

着用画像はこちら↓
画像①
画像②
画像③
画像④
画像⑤


コンディションは大変良好です。シルバーにはクスミ等は見られますが、使用感なく、ターコイズも大変良い状態とハイグロスを保っています。
【NAVAJO】ナバホのアンティークジュエリーで、高度なハンマーワークによりフラットに成形され異なったパターンを持つ3本のツイステッドワイヤーで構成されたピース。そこに、非常に美しいスクエアカットの【Pilot Mountain】パイロットマウンテンターコイズがセットされたアンティーク/ビンテージバングルです。

また、大変手の込んだデザインや内側の『HAND MADE』と刻印されたディテールによって、ビンテージインディアンジュエリーの歴史を紐解く上でとても重要であり、大きな影響力を持ったショップ【Seligman's】セリグマンズで制作された作品である確率がとても高いジュエリーです。
1930年代~1940年代にSeligman'sの経営者である【Julius Seligman】ユリウス・セリグマンによりデザインされ、共同経営者の【Siegeried Seligman】ジークフリード・セリグマンにより描かれたデザイン画が残っており、その中にはこちらの作品と極似したデザインも確認されています。

1930年代末頃~1950年代頃に作られたと思われる作品で、2本のシルバーワイヤーを撚り合わせてできたツイステッドワイヤーをハンマーでに叩くことでフラットに成形したものを3連に並べてバンド/地金を構成しています。また、上下のツイステッドワイヤーと中央に施されたワイヤーではその撚り合わせ方や太さの違いを作ることでまったく異なった表情のワイヤーになっています。こちらのようなハンマーワークと組み合わされたツイステッドワイヤーの造形は、それだけでも高い熟練度が必要で、ハンドメイドのインディアンジュエリー独特の味わいと技術力を感じることのできる造形スタイルです。均一なクオリティーに仕上げるのが難しいため、ほとんど見られなくなった技術の一つであり、現代では高い技術を持ったベテラン作家の【Cippy CrazyHorse】シピー・クレイジーホースや【Ernie Lister】 アーニー・リスター等、限られた作家しか用いることのない技術になってしまいました。
そして、センターには美しいスクエアカットのターコイズが施され、ベゼルにはさりげなくも厚みを持たせることで構築的な印象を与える装飾が施されています。さらに、ターミナルには小さなシルバータブが配されることで、ツイステッドワイヤーがまとめられており、その内側には『HAND MADE』と『STERLING』の刻印が見られます。

高い技術によって仕上げられ、素晴らしい完成度のシルバーワークとハイグレードなターコイズの双方が際立ったアンティークバングルです。

セットされたターコイズは、【Pilot Mountain】パイロットマウンテンターコイズと思われ、とても深いグリーンと澄んだブルーのグラデーションに複雑なブラウン/ゴールドのウェブが入ります。それは大変複雑な景色を形成しており、航空写真を見るような奥行と色の濃さ・透明感もある素晴らしい石です。現在でもハイグロスを保ち、高い硬度を感じさせる照りや煌きを持ったハイグレードにグレーディングできるターコイズです。
また、カット時にロスが多く発生してしまうスクエアカットは希少で、特に古い作品のバングルでは珍しいディテールの一つです。


【Pilot Mountain】パイロットマウンテンターコイズは、ネバダ州に位置しビズビーなどと同じように古くからある銅山でしたが、少量のターコイズを定期的に産出していたようです。70年代頃からはターコイズも本格的に採掘され、とても個性的で複雑な景色を作り出すマトリックスと、バラエティー豊かな色味が特徴です。


【Seligman's】セリグマンズは、1882年にニューメキシコ州のアルバカーキの少し北に位置するベルナリージョという町で【Nathan Bibo】ネイサン・ビボ と【Simon Bibo】サイモン・ビボによって創業されたトレーディングポストが前身となっています。
二人の経営者の甥である【Siegeried Seligman】ジークフリード・セリグマンと【Julius Seligman】ユリウス・セリグマンも1902年から共に働き始め、その二人が1904年頃には新しい経営者として会社を買い取っています。そして、その頃から業績も上向いていったようです。
ジークフリートとユリウスは、会社名を【Bernalillo Mercantile Company】ベルナリージョ・マーカンタイル・カンパニーに改め、支店をオープンさせたり商品の拡充を図り、ベルナリージョにある本店では、12,000平方フィートの広さに金物・食料・雑貨・衣類・材木から棺まで、あらゆる商品を取り揃えていました。さらに、多くのプエブロインディアンと取引することで彼らの生活を支え、ホピのマンタ(服の代わりになるようなブランケット/ショール)等を大量に流通させたとされています。また、それらの取引は、その他のインディアン工芸品へも幅広く展開し、古いサントドミンゴ/キワ族のポッテリーをリバイバル制作して販売したことでも有名です。

そして、1930年代入るとジークフリートとユリウスはジュエリーの企画・販売を開始します。オーナーである二人がデザインに携わり、1939年まではたった2人のシルバースミスが制作を担当していましたが、工房の規模は拡大され、1940年には12人ものシルバースミスを雇い入れています。彼らの内11人はナバホの職人で構成され、ギャラップの周辺やシップロック出身者だったとされています。彼らは、5週間働いたあと2週間は休みが与えられ帰省することができたようで、当時多く存在したインディアンクラフト工房の中でも大変手厚い待遇だったようです。
また、セリグマンズの工房ではバッファー(仕上げ工程で磨きをかける機械工具)以外の機械は一切使用されず、職人はそれぞれの作業用ベンチが与えられて、全行程を一人の職人が担当していました。

1946年には店舗と住居を共にアルバカーキに移転。当時、シルバージュエリー制作の核となったのはナバホ出身の2人のシルバースミスで、【Merejido Chavez】メレヒルド・チャベスと【John Dennison】ジョン・デニソンという人物でした。メレヒルド・チャベスは以前に【Bell Trading Post】ベルトレーディングポストで働いていた経歴を持ち、セリグマンのジュエリーの中でも秀作であるツイステッドワイヤーを用いた作品は、ジークフリートがデザインし、メレヒルド・チャベスが制作したとされており、こちらの作者も同人物による作品と想像されます。また、それらのデザインはセリグマンの1949年頃のカタログにイラストが掲載されており、その表紙にはもう一人のシルバースミスであるジョン・デニソンの写真が掲載されています。

そして、1959年にはインディアンジュエリーの中でもツーリストアイテムの歴史上、大変重要な人物である【M.J."Jerry"Chakerian】M.J.ジェリー・チャケリアンによって買収されました。チャケリアンはニューヨーク出身の敏腕ビジネスパーソンであり、ツーリストジュエリーの生産・流通に大きな影響を与えた人物です。
【Bell Trading Post】ベルトレーディングポストは1935年の創業からしばらくは、【Ganscraft】=【Julius Gans Southwestern Arts and Crafts】ガンズクラフト社と同じ姿勢を持ち、小規模で完全なハンドメイドによってジュエリーの制作を行っていましたが、代表である【J.T.Michelson】J.T.ミケルソンは機械化することを望み、1940年にニューヨークポストに広告を掲載、そこで求めに応じた人物がチャケリアンであり、すでに機械化に成功していた【Maisel's】マイセルズの生産工程をベースに、ベル社の機械化とその飛躍に貢献しました。
しかしながら、チャケリアンは1956年までベルで働いたあと、その後はデンバーの【Harry Heye Tammen】H.H.タンメン社に短期間所属し、そこでは機械生産を止めさせて、伝統的なナバホジュエリー制作への回帰という、ベル社での施策とはまったく逆のことをしており、「伝統的な方法で作られたジュエリーはマシーンメイドのジュエリーとの競争に苦しむべきではない」との自論を持っていたそうです。
当時のタンメン社は業績が酷く悪化しており、大規模な変革が求められていたようですが、大きなコストを必要とする大規模な機械化等を行わず、「本物のハンドメイドのインディアンジュエリーは工業製品の犠牲になるべきではない。それは今後のインディアンジュエリーの健全性の為に大変重要である」と訴え、新たにナバホのシルバースミスを雇い入れました。さらに、一部の機械工程にもナバホの職人を雇うことで、「インディアンメイド」の標記を守らせたようです。

チャケリアンが買収後のセリグマンズでは、すでに一部で機械工程も導入され始めていたようですが、やはり古い製法を尊重し、【Joe H. Quintana】ジョー・キンタナ等、非常に高い技術を持った職人と共にデザイン/造形はモダンなものに進化させられ、伝統技術と共に後進に受け継がれていきました。
インディアンクラフトが産業化されていく工程をなぞる様にその歴史を刻んだショップであり、経営者が変わりながらその業態も変化したようですが、なぜかいつの時代でも、他の工房に比べ異彩を放つ独自性と技術を必要とするジュエリーの造形/デザインを生み出し続けた工房です。
おそらくチャケリアンが経営する時代のものは『HAND MADE』の刻印の上にアーチ状の『INDIAN』が刻印されています。


こちらの作品もセリグマンズを代表する高度なシルバーワークによるツイステッドワイヤーをベースにしており、スクエアカットのターコイズと共に構築的で男性的な表情を持ち、ラフなスタイルだけでなく多くのシーンにフィットする雰囲気を持っています。
ターコイズの表情や長い経年により、深淵な歴史を感じさせるハイエンドで史料価値も高いピースです。

また、こちらのようなツイステッドワイヤーで構成された作品は、造形の彫が深いため、日常的な着用により凹凸のコントラストが強くなり、その奥行きとシルバーの上質感を高めていきます。

着用画像はこちら↓
画像①
画像②
画像③
画像④
画像⑤


コンディションは大変良好です。シルバーにはクスミ等は見られますが、使用感なく、ターコイズも大変良い状態とハイグロスを保っています。
Size

メンズサイズ S - ML 程度。
レディースサイズ L - XXL 程度

内径最大幅 約58.7㎜    正面幅(高さ) 約15.3㎜
内周 約133㎜    開口部 約28㎜
Inside Measurement 5 1/4inch   opening 1 1/4 inch 

  ターコイズ 縦 約11.0㎜  横 約14.1㎜

※バングルはサイズ調整可能です。Lサイズ以下の男性、MLサイズ以上の女性であればほとんどの方にフィットすると思います。
ただし、サイズ調整の際は無理な力を加えますと破損の原因となることがありますのでご注意ください。

Material

925 Sterling Silver, High Grade Pilot Mountain Turquoise
        約29.2g