ITEM CODE:
JBO003428

Vtg 【Seligman's】 Navajo 5 Wire Row Wide Cuff Bracelet c.1945

Vtg 【Seligman's】 Navajo 5 Wire Row Wide Cuff Bracelet c.1945
75,000 円(税込)
75,000 円(税込)
Vtg 【Seligman's】 Navajo 5 Wire Row Wide Cuff Bracelet c.1945
  • Vtg 【Seligman's】 Navajo 5 Wire Row Wide Cuff Bracelet c.1945
  • Vtg 【Seligman's】 Navajo 5 Wire Row Wide Cuff Bracelet c.1945
  • Vtg 【Seligman's】 Navajo 5 Wire Row Wide Cuff Bracelet c.1945
  • Vtg 【Seligman's】 Navajo 5 Wire Row Wide Cuff Bracelet c.1945
  • Vtg 【Seligman's】 Navajo 5 Wire Row Wide Cuff Bracelet c.1945
  • Vtg 【Seligman's】 Navajo 5 Wire Row Wide Cuff Bracelet c.1945
  • Vtg 【Seligman's】 Navajo 5 Wire Row Wide Cuff Bracelet c.1945
  • Vtg 【Seligman's】 Navajo 5 Wire Row Wide Cuff Bracelet c.1945
  • Vtg 【Seligman's】 Navajo 5 Wire Row Wide Cuff Bracelet c.1945
  • Vtg 【Seligman's】 Navajo 5 Wire Row Wide Cuff Bracelet c.1945
  • Vtg 【Seligman's】 Navajo 5 Wire Row Wide Cuff Bracelet c.1945
【NAVAJO】ナバホのアンティークジュエリーで、内側に刻印されたホールマーク(ショップを表すのサイン)から【Seligman's】セリグマンズで作られたことが判る作品。スタンプワークが施されたフラットなワイヤーと2本のラウンドワイヤー、センターに配されたツイステッドワイヤーで構成されたアンティーク/ビンテージバングルです。

当時、大きな影響力を持ったショップであるSeligman'sは、ビンテージインディアンジュエリーの歴史を紐解く上でとても重要な存在であり、沢山の作品が制作された同トレーディングポストですが、こちらのように『SELIGMAN'S』と刻印の入る作品はほどんど見つかっておらず、非常に貴重な作品です。また、制作された時期やデザイン/造形スタイルから、ナバホの作家【Merejido Chavez】メレヒルド・チャベスによって作られた作品であることが推測されます。

1940年代中頃~1950年代初頭に作られたと思われる作品。細い2本のワイヤーを撚り合わせたツイステッドワイヤーを、さらに少し太いラウンドワイヤーと共にもう一度撚ることで作り出した複雑な表情のワイヤーを中央に配し、その上下にラウンドワイヤー、さらに幅のあるフラットなシルバーを5連に並べてバンド/地金を構成しています。上下のフラットな部分にはナバホのトラディショナルなスタンプワークが施されており、特徴的なデザインを生み出しています。このような異なった造形のバンドを重ねて構成する造形スタイルは現代作家にも受け継がれていますが、こちらが作られた当時にはまだ新しい造形であったと思われ、古い作品独特のスタンプ/鏨ツールのクオリティや丁寧なシルバーワークを体感することが出来る素晴らしい完成度を誇っています。さらに、ターミナルには小さなシルバータブが配されることで、5連となったワイヤーがまとめられており、細部まで手の込んだシルバーワークとなっています。

また、内側には『SELIGMAN'S』というショップホールマークと共に『STERLING』の刻印が刻まれています。これは、銀含有率92.5%の地金「スターリングシルバー」であることを示す表記であり、1930年代中頃には登場していた刻印です。ただし、ショップやトレーディングポストにおいて多用されるようになったのは戦後である1940年代後半以降のようです。1940年代以前に作られたツーリストジュエリーでも散見されますが、第二次世界大戦中の銀の不足が影響したと推測され、1940年代後半以降の作品で非常に多くみられるようになりました。『925』の表記もほぼ同じ意味を持っていますが、925の刻印はインディアンジュエリーにおいては非常に新しく採用された刻印であり、そのほとんどが1990年代以降の作品に刻印されています。
Sterling Silver/スターリングシルバー≒925シルバーは、熱処理によって時効硬化性をもち、細かな細工や加工に向いている為、現在においても食器や宝飾品等様々な物に利用されています。


【Seligman's】セリグマンズは、1882年にニューメキシコ州のアルバカーキの少し北に位置するベルナリージョという町で【Nathan Bibo】ネイサン・ビボ と【Simon Bibo】サイモン・ビボによって創業されたトレーディングポストが前身となっています。
二人の経営者の甥である【Siegeried Seligman】ジークフリード・セリグマンと【Julius Seligman】ユリウス・セリグマンも1902年から共に働き始め、その二人が1904年頃には新しい経営者として会社を買い取っています。そして、その頃から業績も上向いていったようです。
ジークフリートとユリウスは、会社名を【Bernalillo Mercantile Company】ベルナリージョ・マーカンタイル・カンパニーに改め、支店をオープンさせたり商品の拡充を図り、ベルナリージョにある本店では、12,000平方フィートの広さに金物・食料・雑貨・衣類・材木から棺まで、あらゆる商品を取り揃えていました。さらに、多くのプエブロインディアンと取引することで彼らの生活を支え、ホピのマンタ(服の代わりになるようなブランケット/ショール)等を大量に流通させたとされています。またそれらの取引は、その他のインディアン工芸品へも幅広く展開し、古いサントドミンゴ/キワ族のポッテリー(焼物)をリバイバル制作して販売したことでも有名です。

そして、1930年代入るとジークフリートとユリウスはジュエリーの企画・販売を開始します。オーナーである二人がデザインに携わり、1939年まではたった2人のシルバースミスが制作を担当していましたが、工房の規模は拡大され、1940年には12人ものシルバースミスを雇い入れています。彼らの内11人はナバホの職人で構成され、ギャラップの周辺やシップロック出身者だったとされています。彼らは、5週間働いたあと2週間は休みが与えられ帰省することができたようで、当時多く存在したインディアンクラフト工房の中でも大変手厚い待遇だったようです。
また、セリグマンズの工房ではバッファー(仕上げ工程で磨きをかける機械工具)以外の機械は一切使用されず、職人はそれぞれの作業用ベンチが与えられて、全行程を一人の職人が担当していました。

1946年には店舗と住居を共にアルバカーキに移転。当時、シルバージュエリー制作の核となったのはナバホ出身の2人のシルバースミスで、【Merejido Chavez】メレヒルド・チャベスと【John Dennison】ジョン・デニソンという人物でした。メレヒルド・チャベスは以前に【Bell Trading Post】ベルトレーディングポストで働いていた経歴を持ち、セリグマンのジュエリーの中でも秀作であるツイステッドワイヤーを用いた作品は、ジークフリートがデザインし、メレヒルド・チャベスが制作したとされており、こちらの作者も同人物による作品と推測されます。また、それらのデザインはセリグマンの1949年頃のカタログにイラストが掲載されており、その表紙にはもう一人のシルバースミスであるジョン・デニソンの写真が掲載されています。

そして、1959年にはインディアンジュエリーの中でもツーリストアイテムの歴史上、大変重要な人物である【M.J."Jerry"Chakerian】M.J.ジェリー・チャケリアンによって買収されました。チャケリアンはニューヨーク出身の敏腕ビジネスパーソンであり、ツーリストジュエリーの生産・流通に大きな影響を与えた人物です。
【Bell Trading Post】ベルトレーディングポストは1935年の創業からしばらくは、【Ganscraft】=【Julius Gans Southwestern Arts and Crafts】ガンズクラフト社と同じような姿勢を持ち、小規模で完全なハンドメイドによってジュエリーの制作を行っていましたが、代表である【J.T.Michelson】J.T.ミケルソンは機械化することを望み、1940年にニューヨークポストに広告を掲載、そこで求めに応じた人物がチャケリアンであり、すでに機械化に成功していた【Maisel's】マイセルズの生産工程をベースに、ベル社の機械化とその飛躍に貢献しました。
しかしながら、チャケリアンは1956年までベルで働いたあと、その後はデンバーの【Harry Heye Tammen】H.H.タンメン社に短期間所属し、そこでは機械生産を止めさせて、伝統的なナバホジュエリー制作への回帰という、ベル社での施策とはまったく逆のことをしており、「伝統的な方法で作られたジュエリーはマシーンメイドのジュエリーとの競争に苦しむべきではない」との自論を持っていたそうです。
当時のタンメン社は業績が酷く悪化しており、大規模な変革が求められていたようですが、大きなコストを必要とする大規模な機械化等を行わず、「本物のハンドメイドのインディアンジュエリーは工業製品の犠牲になるべきではない。それは今後のインディアンジュエリーの健全性の為に大変重要である」と訴え、新たにナバホのシルバースミスを雇い入れました。さらに、一部の機械工程にもナバホの職人を雇うことで、「インディアンメイド」の標記を守らせたようです。

チャケリアンが買収後のセリグマンズでは、すでに一部で機械工程も導入され始めていたようですが、やはり古い製法を尊重し、【Joe H. Quintana】ジョー・キンタナ等、非常に高い技術を持った職人と共にデザイン/造形はモダンなものに進化させられ、伝統技術と共に後進に受け継がれていきました。
インディアンクラフトが産業化されていく工程をなぞる様にその歴史を刻んだショップであり、経営者が変わりながらその業態も変化したようですが、なぜかいつの時代でも、他の工房に比べ異彩を放つ独自性と技術を必要とするジュエリーの造形/デザインを生み出し続けた工房です。
おそらくチャケリアンが経営する時代のものは『HAND MADE』の刻印の上にアーチ状の『INDIAN』が刻印されています。


こちらの作品もセリグマンズを代表するディテールの一つであるツイステッドワイヤーを用いた作品です。類似した作品は、1930年代~1940年代にSeligman'sの経営者であるユリウス・セリグマンによりデザインされ、共同経営者のジークフリード・セリグマンにより描かれたデザイン画が残されています。

ナバホジュエリーらしいアーシーでナチュラルな印象を持ったバングルですが、精巧なシルバーワークや作者の卓越した造形センスにより、建築物のような構築的な表情も併せ持っています。
また、心地よい重量感と腕への素晴らしいフィット感を持ち、幅は比較的ワイドですが、シンプルで構築的なデザイン/造形はどんな装いにもフィットし普遍的で美しい造形は長くご愛用いただけると思います。

ビンテージインディアンジュエリーのワイルドな力強さだけでなく、練り上げられ洗練された工芸品としての価値を持ち、Seligman'sのショップホールマークの入る非常に貴重で史料価値も高い作品の一つです。

◆着用サンプル画像(10枚)はこちら◆


コンディションも素晴らしく、シルバーのクスミは見られますが、使用感のほとんど無い大変良好な状態です。ダメージやリペアの跡などもありません。
【NAVAJO】ナバホのアンティークジュエリーで、内側に刻印されたホールマーク(ショップを表すのサイン)から【Seligman's】セリグマンズで作られたことが判る作品。スタンプワークが施されたフラットなワイヤーと2本のラウンドワイヤー、センターに配されたツイステッドワイヤーで構成されたアンティーク/ビンテージバングルです。

当時、大きな影響力を持ったショップであるSeligman'sは、ビンテージインディアンジュエリーの歴史を紐解く上でとても重要な存在であり、沢山の作品が制作された同トレーディングポストですが、こちらのように『SELIGMAN'S』と刻印の入る作品はほどんど見つかっておらず、非常に貴重な作品です。また、制作された時期やデザイン/造形スタイルから、ナバホの作家【Merejido Chavez】メレヒルド・チャベスによって作られた作品であることが推測されます。

1940年代中頃~1950年代初頭に作られたと思われる作品。細い2本のワイヤーを撚り合わせたツイステッドワイヤーを、さらに少し太いラウンドワイヤーと共にもう一度撚ることで作り出した複雑な表情のワイヤーを中央に配し、その上下にラウンドワイヤー、さらに幅のあるフラットなシルバーを5連に並べてバンド/地金を構成しています。上下のフラットな部分にはナバホのトラディショナルなスタンプワークが施されており、特徴的なデザインを生み出しています。このような異なった造形のバンドを重ねて構成する造形スタイルは現代作家にも受け継がれていますが、こちらが作られた当時にはまだ新しい造形であったと思われ、古い作品独特のスタンプ/鏨ツールのクオリティや丁寧なシルバーワークを体感することが出来る素晴らしい完成度を誇っています。さらに、ターミナルには小さなシルバータブが配されることで、5連となったワイヤーがまとめられており、細部まで手の込んだシルバーワークとなっています。

また、内側には『SELIGMAN'S』というショップホールマークと共に『STERLING』の刻印が刻まれています。これは、銀含有率92.5%の地金「スターリングシルバー」であることを示す表記であり、1930年代中頃には登場していた刻印です。ただし、ショップやトレーディングポストにおいて多用されるようになったのは戦後である1940年代後半以降のようです。1940年代以前に作られたツーリストジュエリーでも散見されますが、第二次世界大戦中の銀の不足が影響したと推測され、1940年代後半以降の作品で非常に多くみられるようになりました。『925』の表記もほぼ同じ意味を持っていますが、925の刻印はインディアンジュエリーにおいては非常に新しく採用された刻印であり、そのほとんどが1990年代以降の作品に刻印されています。
Sterling Silver/スターリングシルバー≒925シルバーは、熱処理によって時効硬化性をもち、細かな細工や加工に向いている為、現在においても食器や宝飾品等様々な物に利用されています。


【Seligman's】セリグマンズは、1882年にニューメキシコ州のアルバカーキの少し北に位置するベルナリージョという町で【Nathan Bibo】ネイサン・ビボ と【Simon Bibo】サイモン・ビボによって創業されたトレーディングポストが前身となっています。
二人の経営者の甥である【Siegeried Seligman】ジークフリード・セリグマンと【Julius Seligman】ユリウス・セリグマンも1902年から共に働き始め、その二人が1904年頃には新しい経営者として会社を買い取っています。そして、その頃から業績も上向いていったようです。
ジークフリートとユリウスは、会社名を【Bernalillo Mercantile Company】ベルナリージョ・マーカンタイル・カンパニーに改め、支店をオープンさせたり商品の拡充を図り、ベルナリージョにある本店では、12,000平方フィートの広さに金物・食料・雑貨・衣類・材木から棺まで、あらゆる商品を取り揃えていました。さらに、多くのプエブロインディアンと取引することで彼らの生活を支え、ホピのマンタ(服の代わりになるようなブランケット/ショール)等を大量に流通させたとされています。またそれらの取引は、その他のインディアン工芸品へも幅広く展開し、古いサントドミンゴ/キワ族のポッテリー(焼物)をリバイバル制作して販売したことでも有名です。

そして、1930年代入るとジークフリートとユリウスはジュエリーの企画・販売を開始します。オーナーである二人がデザインに携わり、1939年まではたった2人のシルバースミスが制作を担当していましたが、工房の規模は拡大され、1940年には12人ものシルバースミスを雇い入れています。彼らの内11人はナバホの職人で構成され、ギャラップの周辺やシップロック出身者だったとされています。彼らは、5週間働いたあと2週間は休みが与えられ帰省することができたようで、当時多く存在したインディアンクラフト工房の中でも大変手厚い待遇だったようです。
また、セリグマンズの工房ではバッファー(仕上げ工程で磨きをかける機械工具)以外の機械は一切使用されず、職人はそれぞれの作業用ベンチが与えられて、全行程を一人の職人が担当していました。

1946年には店舗と住居を共にアルバカーキに移転。当時、シルバージュエリー制作の核となったのはナバホ出身の2人のシルバースミスで、【Merejido Chavez】メレヒルド・チャベスと【John Dennison】ジョン・デニソンという人物でした。メレヒルド・チャベスは以前に【Bell Trading Post】ベルトレーディングポストで働いていた経歴を持ち、セリグマンのジュエリーの中でも秀作であるツイステッドワイヤーを用いた作品は、ジークフリートがデザインし、メレヒルド・チャベスが制作したとされており、こちらの作者も同人物による作品と推測されます。また、それらのデザインはセリグマンの1949年頃のカタログにイラストが掲載されており、その表紙にはもう一人のシルバースミスであるジョン・デニソンの写真が掲載されています。

そして、1959年にはインディアンジュエリーの中でもツーリストアイテムの歴史上、大変重要な人物である【M.J."Jerry"Chakerian】M.J.ジェリー・チャケリアンによって買収されました。チャケリアンはニューヨーク出身の敏腕ビジネスパーソンであり、ツーリストジュエリーの生産・流通に大きな影響を与えた人物です。
【Bell Trading Post】ベルトレーディングポストは1935年の創業からしばらくは、【Ganscraft】=【Julius Gans Southwestern Arts and Crafts】ガンズクラフト社と同じような姿勢を持ち、小規模で完全なハンドメイドによってジュエリーの制作を行っていましたが、代表である【J.T.Michelson】J.T.ミケルソンは機械化することを望み、1940年にニューヨークポストに広告を掲載、そこで求めに応じた人物がチャケリアンであり、すでに機械化に成功していた【Maisel's】マイセルズの生産工程をベースに、ベル社の機械化とその飛躍に貢献しました。
しかしながら、チャケリアンは1956年までベルで働いたあと、その後はデンバーの【Harry Heye Tammen】H.H.タンメン社に短期間所属し、そこでは機械生産を止めさせて、伝統的なナバホジュエリー制作への回帰という、ベル社での施策とはまったく逆のことをしており、「伝統的な方法で作られたジュエリーはマシーンメイドのジュエリーとの競争に苦しむべきではない」との自論を持っていたそうです。
当時のタンメン社は業績が酷く悪化しており、大規模な変革が求められていたようですが、大きなコストを必要とする大規模な機械化等を行わず、「本物のハンドメイドのインディアンジュエリーは工業製品の犠牲になるべきではない。それは今後のインディアンジュエリーの健全性の為に大変重要である」と訴え、新たにナバホのシルバースミスを雇い入れました。さらに、一部の機械工程にもナバホの職人を雇うことで、「インディアンメイド」の標記を守らせたようです。

チャケリアンが買収後のセリグマンズでは、すでに一部で機械工程も導入され始めていたようですが、やはり古い製法を尊重し、【Joe H. Quintana】ジョー・キンタナ等、非常に高い技術を持った職人と共にデザイン/造形はモダンなものに進化させられ、伝統技術と共に後進に受け継がれていきました。
インディアンクラフトが産業化されていく工程をなぞる様にその歴史を刻んだショップであり、経営者が変わりながらその業態も変化したようですが、なぜかいつの時代でも、他の工房に比べ異彩を放つ独自性と技術を必要とするジュエリーの造形/デザインを生み出し続けた工房です。
おそらくチャケリアンが経営する時代のものは『HAND MADE』の刻印の上にアーチ状の『INDIAN』が刻印されています。


こちらの作品もセリグマンズを代表するディテールの一つであるツイステッドワイヤーを用いた作品です。類似した作品は、1930年代~1940年代にSeligman'sの経営者であるユリウス・セリグマンによりデザインされ、共同経営者のジークフリード・セリグマンにより描かれたデザイン画が残されています。

ナバホジュエリーらしいアーシーでナチュラルな印象を持ったバングルですが、精巧なシルバーワークや作者の卓越した造形センスにより、建築物のような構築的な表情も併せ持っています。
また、心地よい重量感と腕への素晴らしいフィット感を持ち、幅は比較的ワイドですが、シンプルで構築的なデザイン/造形はどんな装いにもフィットし普遍的で美しい造形は長くご愛用いただけると思います。

ビンテージインディアンジュエリーのワイルドな力強さだけでなく、練り上げられ洗練された工芸品としての価値を持ち、Seligman'sのショップホールマークの入る非常に貴重で史料価値も高い作品の一つです。

◆着用サンプル画像(10枚)はこちら◆


コンディションも素晴らしく、シルバーのクスミは見られますが、使用感のほとんど無い大変良好な状態です。ダメージやリペアの跡などもありません。
Size

メンズサイズ M - L 程度。
レディースサイズ XXL - 程度

内径最大幅 約58.2㎜    正面幅(高さ) 約24.0㎜
内周 約137㎜    開口部 約27.5㎜
Inside Measurement 5 3/8inch   opening 1 1/16inch 

  ※バングルはサイズ調整可能です。Mサイズ以上、XLサイズ以下の男性、XLサイズ以上の女性であればほとんどの方にフィットすると思います。
ただし、サイズ調整の際は無理な力を加えますと破損の原因となることがありますのでご注意ください。

Material

Sterling Silver
        約43.1g