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JBO003430

Vtg Navajo Stamped Half-Round Wire Cuff Bracelet c.1950~

Vtg Navajo Stamped Half-Round Wire Cuff Bracelet c.1950~
69,300 円(税込)
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Vtg Navajo Stamped Half-Round Wire Cuff Bracelet  c.1950~
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【NAVAJO】ナバホか【PUEBLO】プエブロのアンティークジュエリー、インゴットシルバー(銀塊)から成形されたずっしりとした重みのあるハーフラウンドワイヤーをバンド(地金)に、独自性のあるスタンプワークで仕上げられたピース。アンティーク作品ながら洗練された完成度の高いデザイン/造形を持ったアンティーク/ビンテージバングルです。

また、ナバホジュエリーの伝統的な技術で構成された作品ですが、独自性を感じさせるデザインや内側の『HAND MADE』と刻印されたディテールによって、ビンテージインディアンジュエリーの歴史を紐解く上でとても重要であり、大きな影響力を持ったショップ【Seligman's】セリグマンズで制作された作品である確率が高いジュエリーです。

1940年代末~1960年代頃に作られた作品と思われ、インゴットシルバー(銀塊)より成形されることでとても硬く、心地よい重量感のあるハーフラウンドワイヤーのバンドをベースとしています。フロントからサイドにかけてスタンプワークによってナバホらしい紋様が力強く刻まれています。これらのスタンプ(鏨)はどれもプリミティブなデザインであり、その製法も伝統的な技術によって構成されていますが、どこかモダンで現代的な表情を持ち、作品の完成度を高めているようです。
内側には『HAND MADE』とスターリングシルバー(925シルバー)製であることを表す『STERLING』の刻印が施されています。


【Seligman's】セリグマンズは、1882年にニューメキシコ州のアルバカーキの少し北に位置するベルナリージョという町で【Nathan Bibo】ネイサン・ビボ と【Simon Bibo】サイモン・ビボによって創業されたトレーディングポストが前身となっています。
二人の経営者の甥である【Siegeried Seligman】ジークフリード・セリグマンと【Julius Seligman】ユリウス・セリグマンも1902年から共に働き始め、その二人が1904年頃には新しい経営者として会社を買い取っています。そして、その頃から業績も上向いていったようです。
ジークフリートとユリウスは、会社名を【Bernalillo Mercantile Company】ベルナリージョ・マーカンタイル・カンパニーに改め、支店をオープンさせたり商品の拡充を図り、ベルナリージョにある本店では、12,000平方フィートの広さに金物・食料・雑貨・衣類・材木から棺まで、あらゆる商品を取り揃えていました。さらに、多くのプエブロインディアンと取引することで彼らの生活を支え、ホピのマンタ(服の代わりになるようなブランケット/ショール)等を大量に流通させたとされています。また、それらの取引は、その他のインディアン工芸品へも幅広く展開し、古いサントドミンゴ/キワ族のポッテリーをリバイバル制作して販売したことでも有名です。

そして、1930年代入るとジークフリートとユリウスはジュエリーの企画・販売を開始します。オーナーである二人がデザインに携わり、1939年まではたった2人のシルバースミスが制作を担当していましたが、工房の規模は拡大され、1940年には12人ものシルバースミスを雇い入れています。彼らの内11人はナバホの職人で構成され、ギャラップの周辺やシップロック出身者だったとされています。彼らは、5週間働いたあと2週間は休みが与えられ帰省することができたようで、当時多く存在したインディアンクラフト工房の中でも大変手厚い待遇だったようです。
また、セリグマンズの工房ではバッファー(仕上げ工程で磨きをかける機械工具)以外の機械は一切使用されず、職人はそれぞれの作業用ベンチが与えられて、全行程を一人の職人が担当していました。

1946年には店舗と住居を共にアルバカーキに移転。当時、シルバージュエリー制作の核となったのはナバホ出身の2人のシルバースミスで、【Merejido Chavez】メレヒルド・チャベスと【John Dennison】ジョン・デニソンという人物でした。メレヒルド・チャベスは以前に【Bell Trading Post】ベルトレーディングポストで働いていた経歴を持ち、セリグマンのジュエリーの中でも秀作であるツイステッドワイヤーを用いた作品は、ジークフリートがデザインし、メレヒルド・チャベスが制作したとされており、こちらの作者も同人物による作品と想像されます。また、それらのデザインはセリグマンの1949年頃のカタログにイラストが掲載されており、その表紙にはもう一人のシルバースミスであるジョン・デニソンの写真が掲載されています。

そして、1959年にはインディアンジュエリーの中でもツーリストアイテムの歴史上、大変重要な人物である【M.J."Jerry"Chakerian】M.J.ジェリー・チャケリアンによって買収されました。チャケリアンはニューヨーク出身の敏腕ビジネスパーソンであり、ツーリストジュエリーの生産・流通に大きな影響を与えた人物です。
【Bell Trading Post】ベルトレーディングポストは1935年の創業からしばらくは、【Ganscraft】=【Julius Gans Southwestern Arts and Crafts】ガンズクラフト社と同じ姿勢を持ち、小規模で完全なハンドメイドによってジュエリーの制作を行っていましたが、代表である【J.T.Michelson】J.T.ミケルソンは機械化することを望み、1940年にニューヨークポストに広告を掲載、そこで求めに応じた人物がチャケリアンであり、すでに機械化に成功していた【Maisel's】マイセルズの生産工程をベースに、ベル社の機械化とその飛躍に貢献しました。
しかしながら、チャケリアンは1956年までベルで働いたあと、その後はデンバーの【Harry Heye Tammen】H.H.タンメン社に短期間所属し、そこでは機械生産を止めさせて、伝統的なナバホジュエリー制作への回帰という、ベル社での施策とはまったく逆のことをしており、「伝統的な方法で作られたジュエリーはマシーンメイドのジュエリーとの競争に苦しむべきではない」との自論を持っていたそうです。
当時のタンメン社は業績が酷く悪化しており、大規模な変革が求められていたようですが、大きなコストを必要とする大規模な機械化等を行わず、「本物のハンドメイドのインディアンジュエリーは工業製品の犠牲になるべきではない。それは今後のインディアンジュエリーの健全性の為に大変重要である」と訴え、新たにナバホのシルバースミスを雇い入れました。さらに、一部の機械工程にもナバホの職人を雇うことで、「インディアンメイド」の標記を守らせたようです。

チャケリアンが買収後のセリグマンズでは、すでに一部で機械工程も導入され始めていたようですが、やはり古い製法を尊重し、【Joe H. Quintana】ジョー・キンタナ等、非常に高い技術を持った職人と共にデザイン/造形はモダンなものに進化させられ、伝統技術と共に後進に受け継がれていきました。
インディアンクラフトが産業化されていく工程をなぞる様にその歴史を刻んだショップであり、経営者が変わりながらその業態も変化したようですが、なぜかいつの時代でも、他の工房に比べ異彩を放つ独自性と技術を必要とするジュエリーの造形/デザインを生み出し続けた工房です。
おそらくチャケリアンが経営する時代のものは『HAND MADE』の刻印の上にアーチ状の『INDIAN』が刻印されています。


【Ingot Silver】インゴットシルバー(銀塊)からの成形は、アンティークインディアンジュエリーにおいて非常に重要なファクターですが、銀含有率/品位などの素材とは関係なく、ジュエリーの製法技術を表します。
現在制作されている作品の多くは、材料として市販されているシルバープレート(銀板/ゲージ)を加工することでジュエリーとして成形されていますが、インゴットから成形する製法では一度溶かしたシルバーを、鍛冶仕事に近い方法であるハンマーやローラーで叩き伸ばすことでジュエリーとして成形していきます。最終的にはどちらもプレートやバーの形態になるため、大きな差は無いように思われますが、インゴットから成形されたシルバーの肌は、硬くなめらかで鈍い光を持っています。それにより生み出されるプリミティブで武骨な作品の表情は、やはりアンティークインディアンジュエリーの大きな魅力です。
また、1930年代にはシルバープレートが登場しますが、当時シルバープレートを用いて制作されたジュエリーは政府によりインディアンクラフトとして認定されず、グランドキャニオンなどの国立公園内で販売できなくなった記録も残っています。


こちらの作品もインゴットシルバー(銀塊)から成形された地金は硬くなめらかな質感で、素晴らしい装着感を体感できるピースです。また、オリジナリティーのあるデザインながら非常に汎用性も高く、ラフなスタイルだけでなく多くのシーンにフィットする雰囲気を持っています。さらに、他のバングルと重ね付けにも向いた作品ですが、厚みのある地金により単独でもしっかりとした存在感を持っており、長年にわたってご愛用いただける上質感のあるバングルです。

作者を特定することはできませんが、素晴らしい造形センスを持ったシルバースミスによるビンテージピースであり、インディアンジュエリーの深淵な歴史を感じさせるハイエンドで史料価値も高いピースです。

◆着用サンプル画像(9枚)はこちら◆


コンディションも大変良好です。シルバーの僅かなクスミやハンドメイド作品特有の制作上のムラ等が見られますが良好な状態を保っています。
【NAVAJO】ナバホか【PUEBLO】プエブロのアンティークジュエリー、インゴットシルバー(銀塊)から成形されたずっしりとした重みのあるハーフラウンドワイヤーをバンド(地金)に、独自性のあるスタンプワークで仕上げられたピース。アンティーク作品ながら洗練された完成度の高いデザイン/造形を持ったアンティーク/ビンテージバングルです。

また、ナバホジュエリーの伝統的な技術で構成された作品ですが、独自性を感じさせるデザインや内側の『HAND MADE』と刻印されたディテールによって、ビンテージインディアンジュエリーの歴史を紐解く上でとても重要であり、大きな影響力を持ったショップ【Seligman's】セリグマンズで制作された作品である確率が高いジュエリーです。

1940年代末~1960年代頃に作られた作品と思われ、インゴットシルバー(銀塊)より成形されることでとても硬く、心地よい重量感のあるハーフラウンドワイヤーのバンドをベースとしています。フロントからサイドにかけてスタンプワークによってナバホらしい紋様が力強く刻まれています。これらのスタンプ(鏨)はどれもプリミティブなデザインであり、その製法も伝統的な技術によって構成されていますが、どこかモダンで現代的な表情を持ち、作品の完成度を高めているようです。
内側には『HAND MADE』とスターリングシルバー(925シルバー)製であることを表す『STERLING』の刻印が施されています。


【Seligman's】セリグマンズは、1882年にニューメキシコ州のアルバカーキの少し北に位置するベルナリージョという町で【Nathan Bibo】ネイサン・ビボ と【Simon Bibo】サイモン・ビボによって創業されたトレーディングポストが前身となっています。
二人の経営者の甥である【Siegeried Seligman】ジークフリード・セリグマンと【Julius Seligman】ユリウス・セリグマンも1902年から共に働き始め、その二人が1904年頃には新しい経営者として会社を買い取っています。そして、その頃から業績も上向いていったようです。
ジークフリートとユリウスは、会社名を【Bernalillo Mercantile Company】ベルナリージョ・マーカンタイル・カンパニーに改め、支店をオープンさせたり商品の拡充を図り、ベルナリージョにある本店では、12,000平方フィートの広さに金物・食料・雑貨・衣類・材木から棺まで、あらゆる商品を取り揃えていました。さらに、多くのプエブロインディアンと取引することで彼らの生活を支え、ホピのマンタ(服の代わりになるようなブランケット/ショール)等を大量に流通させたとされています。また、それらの取引は、その他のインディアン工芸品へも幅広く展開し、古いサントドミンゴ/キワ族のポッテリーをリバイバル制作して販売したことでも有名です。

そして、1930年代入るとジークフリートとユリウスはジュエリーの企画・販売を開始します。オーナーである二人がデザインに携わり、1939年まではたった2人のシルバースミスが制作を担当していましたが、工房の規模は拡大され、1940年には12人ものシルバースミスを雇い入れています。彼らの内11人はナバホの職人で構成され、ギャラップの周辺やシップロック出身者だったとされています。彼らは、5週間働いたあと2週間は休みが与えられ帰省することができたようで、当時多く存在したインディアンクラフト工房の中でも大変手厚い待遇だったようです。
また、セリグマンズの工房ではバッファー(仕上げ工程で磨きをかける機械工具)以外の機械は一切使用されず、職人はそれぞれの作業用ベンチが与えられて、全行程を一人の職人が担当していました。

1946年には店舗と住居を共にアルバカーキに移転。当時、シルバージュエリー制作の核となったのはナバホ出身の2人のシルバースミスで、【Merejido Chavez】メレヒルド・チャベスと【John Dennison】ジョン・デニソンという人物でした。メレヒルド・チャベスは以前に【Bell Trading Post】ベルトレーディングポストで働いていた経歴を持ち、セリグマンのジュエリーの中でも秀作であるツイステッドワイヤーを用いた作品は、ジークフリートがデザインし、メレヒルド・チャベスが制作したとされており、こちらの作者も同人物による作品と想像されます。また、それらのデザインはセリグマンの1949年頃のカタログにイラストが掲載されており、その表紙にはもう一人のシルバースミスであるジョン・デニソンの写真が掲載されています。

そして、1959年にはインディアンジュエリーの中でもツーリストアイテムの歴史上、大変重要な人物である【M.J."Jerry"Chakerian】M.J.ジェリー・チャケリアンによって買収されました。チャケリアンはニューヨーク出身の敏腕ビジネスパーソンであり、ツーリストジュエリーの生産・流通に大きな影響を与えた人物です。
【Bell Trading Post】ベルトレーディングポストは1935年の創業からしばらくは、【Ganscraft】=【Julius Gans Southwestern Arts and Crafts】ガンズクラフト社と同じ姿勢を持ち、小規模で完全なハンドメイドによってジュエリーの制作を行っていましたが、代表である【J.T.Michelson】J.T.ミケルソンは機械化することを望み、1940年にニューヨークポストに広告を掲載、そこで求めに応じた人物がチャケリアンであり、すでに機械化に成功していた【Maisel's】マイセルズの生産工程をベースに、ベル社の機械化とその飛躍に貢献しました。
しかしながら、チャケリアンは1956年までベルで働いたあと、その後はデンバーの【Harry Heye Tammen】H.H.タンメン社に短期間所属し、そこでは機械生産を止めさせて、伝統的なナバホジュエリー制作への回帰という、ベル社での施策とはまったく逆のことをしており、「伝統的な方法で作られたジュエリーはマシーンメイドのジュエリーとの競争に苦しむべきではない」との自論を持っていたそうです。
当時のタンメン社は業績が酷く悪化しており、大規模な変革が求められていたようですが、大きなコストを必要とする大規模な機械化等を行わず、「本物のハンドメイドのインディアンジュエリーは工業製品の犠牲になるべきではない。それは今後のインディアンジュエリーの健全性の為に大変重要である」と訴え、新たにナバホのシルバースミスを雇い入れました。さらに、一部の機械工程にもナバホの職人を雇うことで、「インディアンメイド」の標記を守らせたようです。

チャケリアンが買収後のセリグマンズでは、すでに一部で機械工程も導入され始めていたようですが、やはり古い製法を尊重し、【Joe H. Quintana】ジョー・キンタナ等、非常に高い技術を持った職人と共にデザイン/造形はモダンなものに進化させられ、伝統技術と共に後進に受け継がれていきました。
インディアンクラフトが産業化されていく工程をなぞる様にその歴史を刻んだショップであり、経営者が変わりながらその業態も変化したようですが、なぜかいつの時代でも、他の工房に比べ異彩を放つ独自性と技術を必要とするジュエリーの造形/デザインを生み出し続けた工房です。
おそらくチャケリアンが経営する時代のものは『HAND MADE』の刻印の上にアーチ状の『INDIAN』が刻印されています。


【Ingot Silver】インゴットシルバー(銀塊)からの成形は、アンティークインディアンジュエリーにおいて非常に重要なファクターですが、銀含有率/品位などの素材とは関係なく、ジュエリーの製法技術を表します。
現在制作されている作品の多くは、材料として市販されているシルバープレート(銀板/ゲージ)を加工することでジュエリーとして成形されていますが、インゴットから成形する製法では一度溶かしたシルバーを、鍛冶仕事に近い方法であるハンマーやローラーで叩き伸ばすことでジュエリーとして成形していきます。最終的にはどちらもプレートやバーの形態になるため、大きな差は無いように思われますが、インゴットから成形されたシルバーの肌は、硬くなめらかで鈍い光を持っています。それにより生み出されるプリミティブで武骨な作品の表情は、やはりアンティークインディアンジュエリーの大きな魅力です。
また、1930年代にはシルバープレートが登場しますが、当時シルバープレートを用いて制作されたジュエリーは政府によりインディアンクラフトとして認定されず、グランドキャニオンなどの国立公園内で販売できなくなった記録も残っています。


こちらの作品もインゴットシルバー(銀塊)から成形された地金は硬くなめらかな質感で、素晴らしい装着感を体感できるピースです。また、オリジナリティーのあるデザインながら非常に汎用性も高く、ラフなスタイルだけでなく多くのシーンにフィットする雰囲気を持っています。さらに、他のバングルと重ね付けにも向いた作品ですが、厚みのある地金により単独でもしっかりとした存在感を持っており、長年にわたってご愛用いただける上質感のあるバングルです。

作者を特定することはできませんが、素晴らしい造形センスを持ったシルバースミスによるビンテージピースであり、インディアンジュエリーの深淵な歴史を感じさせるハイエンドで史料価値も高いピースです。

◆着用サンプル画像(9枚)はこちら◆


コンディションも大変良好です。シルバーの僅かなクスミやハンドメイド作品特有の制作上のムラ等が見られますが良好な状態を保っています。
Size

メンズサイズ XS - SM 程度。
レディースサイズ M - XL 程度

内径最大幅 約55.9㎜    正面幅(高さ) 約8.1㎜
内周 約129㎜    開口部 約23㎜
Inside Measurement 5 1/16inch   opening 7/8inch 

  ※バングルはサイズ調整可能です。こちらは、メンズのMLサイズ以下、女性のMサイズ以上の方であればほとんどの方にフィットすると思います。
ただし、サイズ調整の際は無理な力を加えますと破損の原因となることがありますのでご注意ください。

Material

Ingot Silver
        約35.1g