【NAVAJO】ナバホのアンティークジュエリー、ホールマーク(作者や工房のサイン)が刻印されていない為、正確に作者や背景を特定することは出来ませんが、独特なシェイプや造形スタイル等から【The Navajo Arts & Crafts Guild】 (NACG)=通称『ナバホギルド』、または『U.S.NAVAJO』の刻印で知られる【Indian Arts & Crafts Board】(IACB)の認証を受けたトレーディングポストやインディアンスクールの彫金クラスで制作された事が推測されるアンティーク/ビンテージピンブローチです。
卓越したシルバーワークによる立体的で美しいバーストライン(放射状)を基調としながら、スタンプワークを組み合わせることにより、クロスデザインも表現された作品となっています。
1930年代後半~1960年代頃に制作された作品と思われ、類似したバーストデザインは、さらに古くから伝統的に用いられる造形スタイルとなっています。
さらに、本作の完成された造形美は、現代において活躍するナバホのジュエラー【Pat Bedonie】パット・ベドニーや【Ron Bedonie】ロン・ベドニーを始めとする、多くのシルバースミスに影響を与えたデザインソースとも考えられる作品です。
インゴットシルバー(銀塊)より成形された重厚な地金がランバスシェイプ(菱形)に造形されています。
そこに鏨を使いシルバーに立体的な角度を付ける(彫刻の様なイメージ)技術である『チェイシング/Chasing』と呼ばれる技法と、『ファイルワーク』と言う削る技術を組み合わせ、深く立体的なライン模様を刻み込んでいます。
そのラインに合わせたエッジのカッティング、さらには厚み部分まで深く彫り込まれた造形となっています。
そして、その放射状のライン模様の中央にはクロスが浮かび上がるようにスタンプワークが刻み込まれ、中央にはフラットな菱形のプレートがアップリケされる事で仕上げられています。
また全体に『リポウズ/バンプアウト』と呼ばれる技術により、柔らかなアール(曲面)が施されており、中央が少し膨らむドーム型の造形となっています。
これは現在多くみられる凸と凹の金型ツールを用いた技術ではなく、木(丸太)やレッド(鉛の塊)に施された凹みに、地金となるシルバーをハンマーで叩き沿わせることによってドーム状の膨らみを作り上げており、非常に細かく何度もタガネで叩き沿わせる高度なハンマーワークによって成形されています。
全て伝統的でプリミティブな技術・技法によって形作られた作品ですが、非常に高い完成度を誇り、手工芸品として極限まで高められたシルバーワークは、ビンテージ作品でありながらモダンでクリーンな印象を生み出しています。
それらの造形スタイルやスタンプワークのデザイン等もIACBやナバホギルドで作られたことを示すディテールとなっており、シンプルでミニマムな造形の中にインディアンジュエリー独特の味わいや武骨さが感じ取れます。
ただし、それら両組織では殆どアップリケというディテールが使用されていません。
その為、その作者や背景を推定する事が出来ず、IACBやナバホギルドでキャリアを積んだシルバースミスが、もう少し新しい時代に制作した作品である可能性も考えられる作品となっています。
【Indian Arts & Crafts Board】(IACB)は、インディアンアートの普及やクオリティーの保全、職人の地位向上等のために現地トレーディングポストやトレーダーによって1937年に組織されました。
『U.S.NAVAJO』『U.S. ZUNI』『U.S. HOPI』のスタンプを使うことで、アメリカ政府の公認を表した公的な意味合いを重視した組織です。
国としての歴史が浅く、カルチャーやアートに乏しいと考えたアメリカ政府が、インディアンアート/クラフトをアメリカの誇る独自のアート・工芸として世界的に認知させることもIACB発足の目的だったようです。
さらに、1930年代以降に隆盛した【BELL TRADING POST】や【Maisel's Indian Trading Post】、【Arrow Novelty】等の"Manufacturers"とされる量産化を推し進めたメーカーによるマスプロ品と、その製法や工程において正当なインディアンジュエリーであること等を差別化する事も必要とされていました。
上記のような現在『フレッド・ハービースタイル』と呼ばれるメーカーでは、ジュエリー等の製作に分業化や機械化を進め、結果的にインディアンジュエリー作家の独立や生計を圧迫しました。
そのため、古くからインディアン達と密接に付き合い、インディアンアート/クラフトを扱うトレーディングポストやトレーダー、さらにはインディアンアーティスト自身たちによって、量産化を図るメーカーに対する対抗策が講じられました。
Indian Arts & Crafts Boardもその中の一つで、サンタフェの人類学研究所キュレーターである【Kenneth Chapman】ケネス・チャップマンと、フォートウィンゲート及びサンタフェインディアンスクールで彫金クラスを受け持つナバホの巨匠【Ambrose Roanhorse】アンブローズ・ローアンホース(1904-1982)の二人によって、その素材から製法・仕上げに至るまで『U.S.NAVAJO』の刻印を許可する厳しいガイドラインが設定されました。
前述の様に末尾のナンバーはそれぞれトレーディングポストや工房を表しています。
現在、判明しているナンバーは・・・
U.S.NAVAJO 1 = Gallup Mercantile
U.S.ZUNI 1 & U.S.NAVAJO 2 = C. G. Wallace Trading Post 等があります。
また、末尾の数字が二桁(20~60、70はナバホギルド)のものはアメリカ中西部に点在している政府が運営するインディアンスクールの彫金クラスで制作されたピースになります。
それらのホールマーク刻印は、ティファニー社に制作をオーダーしたとされており、通常はジュエリー制作の初期段階で刻むのがホールマークや素材表記の刻印ですが、ジュエリーの製法や素材に対する厳正な審査を受けた事を証明する為の刻印であるU.S.NAVAJO/U.S. ZUNI/U.S. HOPIの刻印は、作品完成後に刻印され、中央ではなくサイドやターミナルに近い場所に刻印されている事が多いのも特徴です。
その認証システムは、伝統的な作品を扱うトレーダーにとって非常に重要であり高い需要があったようですが、その審査を担当した彫金の教員経験を持つシルバースミスは僅か数人であり、アメリカ中西部の広い範囲に分布したトレーディングポストを回って審査・認証していくという供給が全く追い付かず、その為にシステム自体が短命に終わってしまったようです。
【The Navajo Arts & Crafts Guild】(NACG)※以下ナバホギルドはインディアンアートの普及やクオリティーの保全、職人の地位向上等、【The United Indian Trader’s Association】(UITA)とも近しい目的の為に、ナバホのシルバースミス達の手によって組織されました。
中でもナバホギルドは、UITA等に比べナバホの職人主導で組織された団体で、大巨匠であるナバホのシルバースミスAmbrose Roanhorseが代表を務め、後進の育成や伝統的な技術の伝承、インディアンジュエリーのさらなる普及などを目的に1941年にギルドとして発足しました。明確にはなっていませんが、U.S.NAVAJO/Indian Arts & Crafts Boardが1937年~1940年代の初め頃までしか見られないのも、第二次世界大戦の激化による影響だけではなく、どちらの組織においても重要な役割を担っていたAmbrose Roanhorseが、Navajo Guild/The Navajo Arts & Crafts Guildに注力したためではないかと考えられます。
ナバホギルドによる作品のスタイルは特徴的で、Ambrose Roanhorseの意図が強く働いた影響のためか、インゴットから作られたベースに、クリーンで構築的なスタンプワークをメインとしたデザインと、昔ながらのキャストワークによるピースが多く、どちらも回顧主義的なオールドスタイルでありながら、洗練された美しい作品が多く制作されました。
また、もう一つの特徴はその構成メンバーです。当時から有名で最高の技術を究めた作家が名を連ねています。
【Kenneth Begay】ケネス・ビゲイ、【Mark Chee】マーク・チー、【Austin Wilson】オースティン・ウィルソン、【Allan Kee】アレン・キー、【Ivan Kee】アイバン・キー、【Jack Adakai】ジャック・アダカイ、【Billy Goodluck】ビリー・グッドラック等、さらに、Ambrose Roanhorseの教え子の一人であるホピ族の【Louis Lomay】ルイス・ロメイもナバホギルドのメンバーだったようです。
さらに特筆すべきは、これだけ有名作家が揃っていながら【NAVAJO GUILD】のジュエリーとして制作されるものは、個人のホールマーク(署名/サイン)が認められていませんでした。そのため、1941年の発足から1940年代の半ばごろまでは、まったくホールマークなどが記載されていないか、1943年以前には『U.S.NAVAJO 70』が用いられています。
その後、1943年に【Horned Moon/ホーンドムーン】と呼ばれる空を司る精霊をモチーフとしたシンボルがナバホギルドの象徴として商標登録されており、諸説ありますが1940年代後半頃からホールマークとして作品に刻印されるようになったようです。1950年代以降になってからは『NAVAJO』の文字や、銀含有率92.5%の地金であることを示す『STERLING』の刻印が追加されていきます。
また、1940年代後半以降でもホールマークの刻印が刻まれていない個体も多く発見されています。
ナバホギルドの代表を務めた【Ambrose Roanhorse】は後進の育成にも熱心な作家で、1930年代からサンタフェのインディアンスクールで彫金技術のクラスを受け持っており、多くの教え子を持っていました。
サードジェネレーションと呼ばれる第3世代の作家ですが、さらに古い年代の伝統を重んじた作品を多く残し、独特の造形美や完成された技術は次世代に絶大な影響を与えた人物です。
また、【The Navajo Arts & Crafts Guild】 (NACG)ナバホギルドのピースは、アメリカ国内では非常に高い知名度を誇っていますが、それに比例せず、現存数がとても少ないことも特徴です。 コレクターのもとには一定数があると思われますが市場に出る個体は少なく、現在発見するのが大変困難になっています。
【Ingot Silver】インゴットシルバー(銀塊)からの成形は、アンティークインディアンジュエリーにおいて非常に重要なファクターですが、銀含有率/品位とは関係なく、ジュエリーの製法技術を表します。
現在制作されている作品の多くは、材料として市販されているシルバープレート(銀板/ゲージ)を加工することでジュエリーとして成形されていますが、インゴットから成形する製法では一度溶かしたシルバーを、鍛冶仕事に近い方法であるハンマーやローラーで叩き伸ばすことでジュエリーとして成形していきます。
最終的にはどちらもプレートやバーの形態になるため、大きな差は無いように思われますが、インゴットから成形されたシルバーの肌は、硬くなめらかで鈍い光を持っています。それにより生み出されるプリミティブで武骨な作品の表情は、やはりアンティークインディアンジュエリーの大きな魅力です。
また、1930年代にはシルバープレートが登場しますが、当時シルバープレートを用いて制作されたジュエリーは政府によりインディアンクラフトとして認定されず、グランドキャニオンなどの国立公園内で販売できなくなった記録も残っています。
こちらのピンブローチも、インゴットシルバー(銀塊)から成形されることによるシルバーの厚み、膨らみ、そして細かな細工が施されたエッジなどによる豊かな表情により、左右対称でクラシックで構築的なデザインでありながらどこか有機的でアーシーな魅力を放つ作品です。
シルバーのみで構成されたソリッドな質感は派手さを生まず、ラペルやハット以外にもコンチョのように使用することも可能で、多くのアイテムに馴染みやすい大変シンプルなピンブローチです。
またその少しの立体感により色々な角度からの光を映す為、さり気なくも独特な存在感を示します。
またそのクリーンなデザインと造形美により、ジュエリーとしての品位も感じさせ、少しフォーマルなシーンやドレス、モードなスタイルにさえも馴染む特異なインディアンジュエリーとなっています。
アンティーク作品であり、現代作品の源流としてインディアンジュエリーの歴史的な資料価値も高く、ウェアラブルアートとしても評価できる作品。非常にコレクタブルで貴重なピースの一つです。
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コンディションも大変良好です。
シルバーのクスミや小キズ、ハンドメイド作品特有の制作上のムラ等は見られますが、ダメージの無い良好な状態を保っています。