【NAVAJO】ナバホのアンティークジュエリー、インゴットシルバー(銀塊)から成形された重厚で硬く滑らかな質感のシルバーが特徴的な作品で、作者の突出した技術力を感じさせるチェイシングや端正なスタンプワークによって形作られたハイエンドなアンティーク/ビンテージバングルです。
ホールマーク(作者や工房のサイン)等が刻印されていない為、正確に作者や背景を特定することは出来ませんが、大変シンプルでありながら手の込んだ造作、使用されているスタンプツール(鏨・刻印)等から『U.S.NAVAJO』の刻印で知られる【Indian Arts & Crafts Board】(IACB)の認証を受けたトレーディングポストの中でも『U.S. NAVAJO 2』末尾のナンバー2の【C. G. Wallace Trading Post】C.G.ウォレスインディアントレーディングポストで制作された作品が強く想起されます。
また現時点では根拠がそろっていませんが、過去に発見されているアーカイブや造形スタイル、スタンプのクオリティー等からは、ナバホの初期インディアンシルバースミス【Etsitty Tsoie】エツィッティ・ツォージー(c.1880-1937)の作品ではないかと思われる作品です。
また、非常にクリーンで完成されたシルバーワークにより、1950年代以降に作られたように感じられますが、上記の様に推測される制作背景等から、1930年代~1950年代初頭頃までに作られた作品と思われます。
インゴットコインシルバー(銀塊)から成形されたバンド/地金は<65g>を超える重量となっており、見た目以上に重く感じる重厚感を持っています。
そこに『Chasing/チェイシング』と呼ばれる鏨を使いシルバーに立体的な角度を付ける(彫刻の様なイメージ)技術、さらに『ファイルワーク』というヤスリで削る原始的な技法を駆使することで、深く立体的なライン模様を刻み込み凹凸のボーダーラインが形成されています。
さらに、凸状に削り出されたライン上には細かなスタンプワークが刻まれ、複雑な紋様ではありませんが、奥行きがあり非常に力強いナバホらしさとシンプルで洗練された印象を生み出しています。
さらにそのスタンプ(鏨)は、細かなライン模様を含んだスタンプとなっており、そのラインの方向に合わせて連続して刻むことで、シルバーの内側にライン模様を内包したような奥行きと立体感が生み出されています。
これらのプリミティブで端正なシルバーワークは、無機質で緊張感のある表情を生み出していますが、それと同時に作者の熱量や信念というヒューマニティーも宿しているように感じられます。
現代では、ナバホの有名アーティストである【McKee Platero】マッキー・プラテロ氏等が、本作のようにナバホギルドの代表である【Ambrose Roanhorse】アンブローズ・ローアンホース(1904-1982)が提唱し、育んだ「古典作品(技術)をベースにモダンで完成されたジュエリー」という理念の影響を強く受けています。
初期のMcKee Platero氏の作品では、こちらと同じようなシンプルで簡潔なスタンプワークとチェイシング、ファイルワークのみで構成されたピースが散見されます。
それらをベースにさらに自身の思想や美意識を反映させ、高い次元へと作品を昇華させたマッキー・プラテロ氏は、日本の伝統継承で云う『守・破・離』を体現し、ナバホジュエリーをアートピース/芸術作品に押し上げたシルバースミスでありアーティストです。
【Indian Arts & Crafts Board】(IACB)は、【The United Indian Trader’s Association】(UITA)等と共にインディアンアートの普及やクオリティーの保全、職人の地位向上等のために現地トレーディングポストやトレーダーによって1937年に組織されました。
『U.S.NAVAJO』『U.S. ZUNI』『U.S. HOPI』のスタンプを使うことで、アメリカ政府の公認を表した公的な意味合いを重視した組織です。
国としての歴史が浅くカルチャーやアートに乏しいと考えたアメリカ政府が、インディアンアート/クラフトをアメリカの誇る独自のアートとして世界的に認知させることがIACB発足の目的の一つであったようです。
さらに、1930年代以降に隆盛した【BELL TRADING POST】や【Maisel's Indian Trading Post】、【Arrow Novelty】等の"Manufacturers"とされる量産化を推し進めたメーカーによるマスプロ品と、その製法や工程において正当なインディアンジュエリーであること等を差別化するために組織されました。
上記のような現在『フレッド・ハービースタイル』と呼ばれるメーカーでは、ジュエリー等の製作に分業化や機械化を進め、結果的にインディアンジュエリー作家の独立や生計を圧迫しました。
そのため、古くからインディアン達と密接に付き合い、インディアンアート/クラフトを扱うトレーディングポストやトレーダー、さらにはインディアンアーティスト自身たちによって、量産化を図るメーカーに対する対抗策が講じられました。
Indian Arts & Crafts Boardもその中の一つで、サンタフェの人類学研究所キュレーターである【Kenneth Chapman】ケネス・チャップマンと、フォートウィンゲート及びサンタフェインディアンスクールで彫金クラスを受け持つナバホの巨匠【Ambrose Roanhorse】アンブローズ・ローアンホース(1904-1982)の二人によって、その素材から製法・仕上げに至るまで『U.S.NAVAJO』の刻印を許可する厳しいガイドラインが設定されました。
前述の様に末尾のナンバーはそれぞれトレーディングポストや工房を表しています。
現在、判明しているナンバーは・・・
U.S.NAVAJO 1 = Gallup Mercantile
U.S.ZUNI 1 & U.S.NAVAJO 2 = 本作の制作された、C. G. Wallace Trading Post 等があります。
また、末尾の数字が二桁(20~60、70はナバホギルド)のものはアメリカ中西部に点在している政府が運営するインディアンスクールの彫金クラスで制作されたピースになります。
それらのホールマーク刻印は、ティファニー社に制作をオーダーしたとされており、通常はジュエリー制作の初期段階で刻むのがホールマークや素材表記の刻印ですが、ジュエリーの製法や素材に対する厳正な審査を受けた事を証明する為の刻印であるU.S.NAVAJO/U.S. ZUNI/U.S. HOPIの刻印は、作品完成後に刻印され、本作の様に中央ではなくサイドやターミナルに近い場所に刻印されている事が多いのも特徴です。
その認証システムは、伝統的な作品を扱うトレーダーにとって非常に重要であり高い需要があったようですが、その審査を担当した彫金の教員経験を持つシルバースミスは僅か数人であり、アメリカ中西部の広い範囲に分布したトレーディングポストを回って審査・認証していくという供給が全く追い付かず、その為にシステム自体が短命に終わってしまったようです。
【C. G. Wallace INDIAN TRADER/C. G. Wallace Trading Post】C.G.ウォレスインディアントレーダーは、【Charles Garrett Wallace】チャールズ・ガレット・ウォレスが、1928年にZUNI /ズ二のジュエリーを専門に扱うトレーダーとしてズニの町で創業し、非常に多くのズニジュエリー作家を支援しました。
創業後すぐにナバホのシルバー彫金技術を必要として、本作の作者とも考えられる【Etsitty Tsoie】エツィッティ・ツォージー(c.1880-1937)や【Ike Wilson】アイク・ウィルソン(1901-1942)とその兄である【Austin Wilson】オースティン・ウィルソン(1901-1976)、他にも【Billy Hoxie】ビリー・ホクシー、【Charles Begay】チャールズ・ビゲイ(1912-1998)等、一説には二十数人と言われるナバホ出身シルバースミスが在籍していたとされています。
さらに、ズニの偉大な作家達である【Juan De Dios】ファン・デ・ディオス(1882~19??)や【Leekya Deyuse】リーキヤ・デユセ(1889-1966)、【Horace Iule (Aiuli)】ホレス・イウレ(1899~1901?-1978)等も所属し、ズニジュエリーのみならずインディアンジュエリーの礎を築いたとトレーディングポストの一つです。
また、彼らの様にズニの町でシルバースミスをしていたナバホの職人は、技術的にはナバホの伝統的な彫金技術を重視していたようですが、植物のようなスタンプワークのデザインや表現等、そのデザインスタイルやディテールには、ナバホジュエリーにはあまり見られないズニ/プエブロの影響を受けていると考えられる作品が多く残されています。
その様な少し特殊な環境や優秀な職人による伝統の継承、さらに経営者であるCharles Garrett Wallaceの献身的なインディアンアーティストへのバックアップにより、大変多くの傑作を生み出し後世に残したトレーディングポストです。
また、同トレーディングポストで作られた作品群を含むCharles Garrett Wallaceの個人コレクションの内、約半数は1975年にアリゾナ州フェニックスのバードミュージアムに寄贈されました。
そして、残りの一部はSotheby Parke Bernet社のオークションに出品され、その際に発行されたオークションカタログは現在でも多くの研究者やコレクターにとっての第一級の資料となっています。
【Ingot Silver】インゴットシルバー(銀塊)からの成形は、アンティークインディアンジュエリーにおいて非常に重要なファクターですが、銀含有率/品位とは関係なく、ジュエリーの製法技術を表します。
現在制作されている作品の多くは、材料として市販されているシルバープレート(銀板/ゲージ)を加工することでジュエリーとして成形されていますが、インゴットから成形する製法では一度溶かしたシルバーを、鍛冶仕事に近い方法であるハンマーやローラーで叩き伸ばすことでジュエリーとして成形していきます。
最終的にはどちらもプレートやバーの形態になるため、大きな差は無いように思われますが、インゴットから成形されたシルバーの肌は、硬くなめらかで鈍い光を持っています。
それにより生み出されるプリミティブで武骨な作品の表情は、やはりアンティークインディアンジュエリーの大きな魅力です。
また、1930年代にはシルバープレートが登場しますが、当時シルバープレートを用いて制作されたジュエリーは政府によりインディアンクラフトとして認定されず、グランドキャニオンなどの国立公園内で販売できなくなった記録も残っています。
本作もインゴットシルバーから成形されることで、硬く滑らかなシルバーの肌と独特の上質感を持っており、それによって全てディテールが原始的な技術で構成された素朴なアンティークジュエリーでありながら、アンティーク作品と思えないデザインの洗練度とエレガントな表情が与えられ、アートピース・ウェアラブルアーツとしても高く評価される作品に昇華されています。
この様な非常にシンプルでミニマルなデザインは、特別な特徴を持っていないようにも感じられますが、一見してU.S.NAVAJOの刻印された作品や、ナバホギルドに所属したシルバースミスの作品が想起されるスペシャリティを有しています。
現代においても簡単に再現できない技巧と作者の精神性が注ぎ込まれた作品です。
またワイドな幅のバングルですが、シルバーのみで構成されたソリッドな質感は派手な存在感を与えず、シンプルながら重厚な造りは武骨な印象を作ります。
さらにプレーンなシルバーは、着用している服の色やその場の環境、そして周辺の景色を映し出し、多くのスタイリングに自然に馴染みフィットさせる事が出来る汎用性を持つブレスレットです。
歴史的な背景から、高い資料価値も有するアンティークジュエリー。ミュージアム収蔵品としても散見される非常にコレクタブルな作品の一つであり、トレジャーハントプライスなピースとなっています。
◆着用サンプル画像はこちら◆
コンディションも大変良好です。
僅かなクスミや細かなキズ、ハンドメイド独特の制作上のムラ等が見られますが、使用感の少ない大変良好な状態を保っています。