イタリア人作家である【Frank Patania Sr.】フランク・パタニア・シニア(1899-1964)の息子である【Frank Patania Jr.】フランク・パタニア・ジュニア(1932-)によって2017年頃に作られたもので、新品・未使用のまま保管されていたバングルです。
ハンドメイドの丁寧なシルバーワークにより、ライン紋様を刻む事でバンディット/ボーダー(帯状)のデザインを作り上げた非常にシンプルでクリーンな印象の作品となっています。
おそらくインゴットシルバー(銀塊)からローラーによって成形されたバンドは、60gを超える重厚感となっており、そこにオーバーレイではなく、スタンプワークとファイルワーク(鑢で削る技術)を駆使する事で、美しい直線が刻まれています。その5本のラインがバンデット/ボーダーのデザインを生み出しており、非常にミニマルでモダンな印象のブレスレットとなっています。
またハイポリッシュ(鏡面)に仕上げられ、この長い時間を費やした丁寧な仕上げ工程により、独特な上質感や、プリミティブな技術で作られた本作にハイジュエリーとしての品位が与えれているようです。
とてもFrank Patania Jr.らしいシンプルで洗練された美しさを持った作品となっていますが、非常に類似した造形・デザインのブレスレットが、1940年代~1950年代にナバホの偉大なシルバースミス兄弟の弟【Ike Wilson】アイク・ウィルソン(1901-1942)とその妻【Katherine Wilson】キャサリン・ウィルソン、又は兄である【Austin Wilson】オースティン・ウィルソン(1901-1976)によって作られた作品において発見されています。ただし、それは1点のみとなっており、Frank Patania Jr.がその存在を知っていた可能性は低いように思われます。
しかし、そのデザインはナバホ・プエブロジュエリーの完成度を極限まで高め、モダンにブラッシュアップした結果として生み出されたものであり、ミッドセンチュリー期に作られたIke Wilsonの作品とも共通した美意識・価値観を持って作られた作品と考えられます。
【Frank Patania r.】フランク・パタニア・ジュニアは1932年生まれのアングロ(白人)であり、偉大なイタリア人ジュエラーである【Frank Patania Sr】フランク・パタニア・シニア(1899-1964)を父親に持っています。大学進学前から彫金の基礎を学びはじめ、若くから美術や彫金の基礎を学びはじめました。1954年にアリゾナ大学を卒業後、2年間の軍隊への入隊を経て1956年には正式に父親の経営するThunderbird Shopのツーソン店で働くようになります。
イタリア人である父親は、祖国から徒弟制度の経験を携えてニューヨークに渡っており、当時のアメリカとは異なった職人気質な工程を経験させることで、その技術を息子や弟子に伝授していたようです。それは、直接的な指導をせずに、それぞれに素材等の基礎知識を学ばせ、単純な反復練習を重視して技術を継承することであり、フランク・ジュニアは当時のその様な過程を「面倒であったが、非常に重要だった」と回想しています。
その後、1950年代末頃からはコンペや展示会に出展し、多くのショーを受賞。父親から受け継いだナバホジュエリーとも共通した技術や造形を継承しながらも、独自に建築的な構造や新しい技法を取り入れることでオリジナリティも獲得していきます。
1964年にフランク・シニアが癌で倒れると、パタニア・サンダーバードスタイルはフランク・ジュニアの創造する世界観となっていきます。それは、短期間で高い評価を得ており、アメリカ国内でも有数のコンテンポラリージュエラーとして知られるようになりました。
またその才能は、ジュエリー以外にも宗教的な聖具を制作する仕事において発揮されました。聖ミカエル教会の王冠やノースミニスター長老教会に依頼された大きな十字架等、宗教美術品も精力的に制作していました。
本作が制作された2017年頃には、僅かながらジュエリーの制作を継続されていましたが、現在は引退されています。父親から受け継いだ知識や技術、その理念は、ファミリーの3代目であり息子の【Samuel Frank Patania】サムエル・フランク・パタニア(1956-)に受け継がれています。
【Frank Patania Sr.】フランク・パタニア・シニアは、1899年シチリア生まれのイタリア人で、インディアンジュエリーの世界に新しい価値観を持ち込み、多くの傑作を生み出しました。そして、多くの優秀な後進を育てた人物としても有名です。
6歳からイタリアで金細工師に弟子入りし、その技術を身に付けていきました。10歳のころに母親、兄弟とともにニューヨークに渡り、多くの移民とともに産業革命の喧騒なかで成長していきました。その後、19歳のころにニューヨークでも大手のジュエリーカンパニーでデザイナーとしての仕事に就き、そこでも多くの経験を積んだようです。転機となったのは1924年、当時大流行していた結核に侵され、療養のために訪れたサンタフェで、インディアンのシルバーとターコイズを使った仕事を見たとき、『自分の表現方法を発見した』 そして、『二度とニューヨークに戻りたくなくなった』と語っています。
そして、わずか3年後の1927年にはサンタフェに【Thunderbird Shop】サンダーバードショップをオープンしました。当時、シカゴ~アルバカーキ~南カリフォルニアへ続く鉄道整備に伴なって、アメリカ中西部各都市の観光産業の活況と共にフレッド・ハービー社の隆盛、インディアンアートの産業化もあり、その新しい魅力を持つ「サンダーバードショップ」のジュエリーや工芸品は大変な好評を博しました。
やはり、オープン初期からFrank Pataniaの作品はナバホ・プエブロ双方のインディアンジュエリーの影響を色濃く感じさせます。
また、多くのインディアンアーティストを育てたことでも有名です。【Joe H. Quintana】ジョー・キンタナ、【Julian Lovato】ジュリアン・ロバト、【Louis Lomay】ルイス・ロメイ、他にも【Mark Chee】マーク・チーなどもサンダーバードショップで石のカッターとして働いていたようです。
彼ら(特に上記3人)はFrank Pataniaの技術やその美意識を受け継ぎ、『パタニア サンダーバード』スタイルとも言われる作品を残しました。 それらは、独自性とインディアンジュエリーの伝統的で素朴な強さを持ちながら、新しい価値観や実験的な造形を生み出し、品位を感じさせる作品で、それぞれに強い個性を持っていますが、どこか共通する美意識を感じるのも特徴です。
構築的な印象も受けるボーダーのパターンは、非常にクリーンで現代的ですが、独特の味わいと量産品にはない迫力を醸し出しています。さらに、完成された造形美や丁寧な仕上げによる洗練度と共に、インディアンジュエリーの影響も継承しており、ワイルドで骨太な印象も備える稀有なブレスレットとなっています。
また、プレーンなシルバーの質感を生かしたデザインとなっており、このようなシルバーの美しさを際立たせた作品は、着ている服の色や天気・環境、そして周辺の景色を映し出します。その為、比較駅ワイドな幅を持ったバングルですが、色々なスタイルやあらゆるシーンに溶け込みながら、個性を主張できるジュエリーとなっています。
そして、そのミニマルで普遍的なデザインは、とても多くのスタイルにさり気なくフィットさせる事が可能であり、長年にわたってご愛用いただけるバングルかと思われます。
インディアンジュエリーが芸術として成長していく過程・歴史において、非常に重要な役割を果たしたFrank Patania Sr.と、その実子として成長したFrank Patania Jr.のキャリア最晩年に作られたピースであり、そのシンプルかつクラシカルで無駄のない造形は、同氏の集大成ともいえる作品。ミュージアム収蔵品も多く、現在では市場に出にくいFrank Patania Jr.の作品であり、コレクションとしても十分にその価値を感じることのできるファインジュエリーです。
◆着用サンプル画像(10枚)はこちら◆
コンディションは、未使用の新しい作品です。
ハンドメイド作品特有の制作上のムラや僅かなキズ、シルバーのクスミ等は見られます。